この記事を読めば関菜々巳選手が小学校から高校までどんな学校に通っていたのか、そして大学に進学しなかった理由について私なりの考察も含めて全部わかります。
日本代表セッターとしてバレーボールファンの間で話題になっている関選手ですが、学歴について調べても意外とざっくりした情報しか出てこなくて、正直私も調べていて「え、これしかないの?」と驚いた部分がありました。
なので今回は各学校がどんな場所なのかまで掘り下げて、自分なりの視点も混ぜながらまとめていきますね。
船橋市立法典西小学校時代の関菜々巳
関選手のバレーボール人生って、実はお姉さんの影響で始まったらしいんですよね。
小学2年生の頃にバレーを始めて、地域のクラブチームでけっこう本格的に取り組んでいたみたいです。
法典西小学校ってどんな学校なの
関選手が通っていたのは千葉県船橋市にある船橋市立法典西小学校です。
愛称は「法西(ほうにし)」と呼ばれていて、昭和59年に開校した比較的新しい学校なんですよ。周辺には上山公園があって自然が多い環境で、地域交流もかなり盛んな学校らしいです。
「兄弟学級」という異学年交流の取り組みがあったり、地域のお祭りに児童が参加したりと、アットホームな雰囲気の小学校だなという印象を受けました。
1学年3〜4クラス編成で児童数は600人を超える規模感みたいです。
こういう地域密着型の環境で育ったことが関選手の人間性の土台になっているのかもと個人的には思っています。あくまで私の推測ですけどね。
小学時代の関選手はどんな子だったのか
小学2年生でバレーを始めて塚田JSCというクラブチームに所属し、関東大会に出場したという記録が残っています。
正直この時期のポジションが何だったかまでは詳しくわかっていないんですが、セッターとしての視野の広さや判断力って、意外と幼少期から少しずつ培われていくものなのかなという気がしています。
船橋市立行田中学校でセッターとしての土台を作った時期
中学校時代は関選手のバレーボール人生において、けっこう重要なターニングポイントだったんじゃないかなと感じています。
この時期にセッターとしての専門性が本格的に固まっていったようです。
行田中学校の特徴を調べてみました
関選手が卒業したのは船橋市立行田中学校です。
1976年に開校した学校で2015年時点での全校生徒数は945人という、けっこう大きめのマンモス校なんですよね。
生徒会には「あじはみそな」というフレーズがあって、あいさつや時間を守ることなど生活面の基本を大切にしている校風みたいです。
給食は和食や洋食、お弁当を月単位で選べる選択制になっていて、地域では体育祭や合唱祭が秋に開催される学校として知られています。
この学校規模の大きさを考えると部活動の競争もそれなりに激しかったんじゃないかなと想像しています。
中学時代にセッターとしての実力が開花
複数の情報源によると関選手はこの中学時代にセッターとしての活躍が本格化していったとされています。
ただ、この時期の大会成績など具体的な記録についてはあまり詳しい情報が見つからなかったので、正直なところよくわかっていません。
でも、行田中学校からあの千葉県立柏井高校というバレーの強豪校に進学できたことを考えると中学時代からすでにかなりの実力を持っていたんだろうなというのは想像に難くないですよね。
千葉県立柏井高等学校での大きな転機
高校時代こそ、関選手のキャリアで一番熱く語りたいポイントかもしれません。
ここでアタッカーからセッターへ転向したという話、これって地味にすごい決断だと思うんですよね。
柏井高校は女子バレーの超強豪校
関選手の最終学歴は千葉県立柏井高等学校で、日本オリンピック委員会の公式プロフィールにもこの高校名がはっきり記載されています。
1981年に開校した公立高校で普通科に加えて英語科も設置されている学校なんです。
女子バレーボール部は千葉県内でも圧倒的な強さを誇っていて、2015年にはインターハイベスト8、国体3位、春高バレー3位という結果を残していて、当時から全国レベルで名前が知られる存在だったみたいです。
運動部が全体的に活発で陸上部や弓道部なども盛んな校風らしいですね。
個人的には公立でこれだけ強い部活が育っている環境ってけっこう珍しいなと感じました。
2018年3月9日にはInstagramにて高校を卒業したことを報告していました。
アタッカーからセッターへの転向という決断
関選手は高校入学当初はアタッカーとしてプレーしていて、在学中にセッターへ転向したとされています。
これ、地味にすごい決断だと思うんですよね。
ポジションを変えるって選手にとってはゼロからやり直すくらいの覚悟が必要なはずで、しかもセッターは戦術面の理解力やチームメイトとの相性がめちゃくちゃ重要視されるポジションです。
2017年には第14回全日本ジュニアオールスタードリームマッチでキャプテンに選ばれ、3年生の時には春高バレー2018にも出場しています。
この転向がなければ、今の日本代表セッターとしてのキャリアは全く違うものになっていたかもしれません。
ここはあくまで私の考察ですがけっこう説得力のある話だなと思っています。
大学に進学しなかった理由を考えてみた
正直、ここが一番気になっているポイントです。セッターって経験の積み重ねが重視されるポジションなのに、なぜ大学経由を選ばなかったのか。
高校卒業後は東レアローズへ直接入団
関選手は柏井高校卒業後、大学には進学せず2017年に東レアローズ(現・東レアローズ滋賀)へ直接入団しました。
大卒でトップリーグに入る選手も多い中で、高卒即プロという選択はけっこう思い切った決断だったんじゃないかなと感じます。
なぜ大学を経由しなかったのか、私の見立て
正直、この理由について公式なコメントはあまり見つからなかったので、ここからは完全に私の考察になります。
セッターというポジションは実戦経験の量が実力に直結しやすいイメージがあって、実業団という高いレベルの環境で早くから経験を積む方が大学リーグでプレーするより成長スピードが速いと判断したのかもしれません。
あるいは高校時代にすでに東レアローズからスカウトを受けていて、その誘いに応じた可能性もありそうです。
まあ、全く裏付けが取れていない予想なので、あくまで一つの仮説として読んでもらえたらと思います。
まとめ
- 小学校は船橋市立法典西小学校で姉の影響でバレーを始めて塚田JSCに所属
- 中学校は船橋市立行田中学校でセッターとしての実力を本格的に固めた時期
- 高校は千葉県立柏井高等学校でアタッカーからセッターへ転向した大きな転機があった
- 大学には進学せず、2017年に東レアローズへ直接入団した
- 大学を経由しなかった理由は公式には明らかになっておらず、あくまで推測の域を出ない部分が多い
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