この記事を読めばお笑いコンビ「次長課長」の河本準一さんが歩んできた学生時代の全貌、小学校から高校卒業後のNSC入学までがひとつながりで理解できます。
「学歴がどうのというより、人生そのものがドラマだった」
と言いたくなるような彼の学生時代。
両親の離婚、転居、いじめ、サッカーでの挫折
それらを経てお笑いの道へ進んだ背景を時系列で丁寧に追っていきます。
出身小学校は非公開
名古屋生まれ、でも育ちは岡山
河本さんは愛知県名古屋市で生まれましたが、9歳のときに両親が離婚し、母親に引き取られて岡山県津山市へ移り住んでいます。
なので「岡山出身」とよく紹介されるんですが、実は生まれは名古屋なんですよね。
転居後は母方の祖父母のそばで暮らし、母親はスナックで働きながら生計を立てていたといいます。子ども時代からなかなか苦しい環境だったんだなと…。
小学校名は非公開
正式な小学校名については現時点では公式な情報として確認できていません。
岡山県津山市内の小学校に通っていたことは確かなようなので、津山市内の公立小学校に通っていたんだろうというのが自分の見立てです。
オダギリジョーとの伝説の出会い
小学時代で絶対に外せないのが、俳優のオダギリジョーさんとの出会い。河本さんが通っていた津山市内の小学校に、3年生のときにオダギリさんが転校生としてやってきたそうです。
ここが個人的にめちゃくちゃ気になっているポイントで。
河本さん本人が「それまで俺が一番モテてたのに、ジョー君が来た瞬間から河本帝国が崩れた」と語っていて、オダギリさん自身も「もっち(河本)はサッカーがうまくて、めちゃくちゃモテてた」と認めてるんですよ。
お互いにライバル視しながらも、今でも仲良しっていうのがなんか素敵だなって思います😊
ちなみに2022年9月のNHKの番組で、オダギリさんが「ある日、急に夜逃げしたんです」と小学生時代の河本さんの話を暴露しかけて、直後に「これは不適切な発言だったかもしれない」とあわてて口をつぐんだ一幕もあったとか。
何を言いかけたのか、正直めちゃくちゃ気になります(笑)。
小学6年生で経験した昼逃げ
小学6年生の3学期、河本さんは母親と一緒に当時住んでいた場所を急に離れることになります。母親の再婚相手からのDVが原因だったとされていて、親族の勧めもあって岡山市へ再び転居することになりました。
9歳のときの両親の離婚に続いて、小学生のうちにまた大きな生活の変化があったわけです。ちょっと考えるだけで胸が痛くなりますよね。
出身中学校は岡山市立京山中学校
どんな学校?
岡山市に転居した河本さんが通ったのは岡山市立京山中学校です。
岡山市北区津島京町1丁目に位置する公立の中学校で、最寄りはJR吉備線の備前三門駅です。
ちょっと調べてみて驚いたんですが、この学校って口コミを見ると「学力レベルがとても高い」「自己診断テストで400点台の生徒が半分以上いる」なんてコメントが出てくるんです。
普通の公立中学校なのに、地域的に学力が高い生徒が集まるエリアみたいで。
そんな環境の中に偏差値23を自称していた河本さんが通っていたっていうのが……なんというか、なかなかシュールな絵面だなと思いました(笑)。
いじめからの脱出方法がユニーク
転居してきたばかりの河本さんはいじめの対象になってしまいます。そこで河本さんが選んだ解決策が「バレーボール部への入部」でした。
純粋に好きだったわけじゃなくて、放課後に逃げ場が必要だったからという理由なんですよね。
ところがバレー部に「番長格の不良少年」がいて、その人が河本さんを気に入ってくれたらしく、他の不良たちにいじめをやめるよう命令してくれたというエピソードが残っています。
これって、かなりドラマチックな展開ですよね。
実話かどうかはあくまで本人や周辺メディアの発言をもとにした話なので、細かい部分の検証はできていないんですが、河本さんがたびたびこのエピソードを語っているので本人の認識としてはそういう流れだったんでしょう。
野球部で相方・井上聡と運命の出会い
2年生になるとバレー部から野球部に転部してそこで現在の相方である井上聡さんと初めて出会っています。
後に河本さんがTOKYO FMのラジオ番組(川島明そもそもの話)で語った話が印象深かったんですが、
中学の野球部仲間には「自分たちでオリジナルのゲームを考えるのが得意なメンバーが何人かいた」そうで、いつも6人くらいで集まるアジトがあって、その中心にいたのが井上さんだったと。
「企画を考える能力が半端じゃなかった」
と河本さんが語っているんですが、要するに中学時代からすでにおもしろいことをつくるセンスを共有していた仲間だったわけで。
これってコンビ結成より先に、笑いの原石みたいなものを2人で育てていたともいえるかもしれないですよね。
それに、2026年の番組でも「中学校からの同級生で良かったと思いました」と語っていた河本さん。長い芸人生活の中で改めてそう感じる瞬間があったということがなんかじんわりしました。

出身高校は岡山県立東岡山工業高等学校
どんな学校?
岡山県立東岡山工業高等学校は岡山市中区にある公立の工業高校で機械科・電子機械科・電気科・設備システム科・工業化学科の5学科が設置されています。
最寄りはJR山陽本線の東岡山駅から徒歩約3分。
河本さんが通っていたのは電子機械科で「機械」「電子」「情報」の3分野を融合したメカトロニクス技術を学ぶ学科です。
ロボットやプログラミングに興味がある人向けというイメージで、工業高校ならではの専門的な内容がカリキュラムの核にある学校みたいです。
偏差値は46程度で岡山県公立高校の中で47位(100校中)という位置づけ。
就職実績が圧倒的に強いことで知られていて、「地元の優良企業からの信頼が厚い」という口コミも見られます。
危険物取扱者や電気工事士などの国家資格にチャレンジできる環境が整っているのも特徴みたいですね。
そもそも高校に行けたのが奇跡に近い
ちょっとびっくりしたんですが、河本さんって当初は高校進学を希望していなかったんです。勉強が苦手で高校に行く気がなかったそうで。
ところが普段は放任主義だった母親がこのときだけはなぜか強硬に「進学するべき」と主張し、担任の先生が奔走した末に定員割れしていた東岡山工業高校への入学が決まったという経緯があります。
あの母親が……という感じで、人生どこでどうなるかわからないなと思いました。
定員割れしてた工業高校に滑り込む形で進学してその先でサッカー漬けの高校生活を送り、芸人への道が開けていくわけなので。
サッカー部で国体選抜という快挙
河本さんは高校でもサッカー部に入部し、1年生の夏にはすでにレギュラーとして活躍していたといいます。その実力は本物で、岡山県の国体選抜メンバーにも選ばれています。
工業高校のサッカー部でここまでいくのは、なかなかすごいと思います。小学校からサッカーを続けてきた積み重ねが確実に出てた時期だったんでしょうね。
ここで出会ったのが後に「次長課長社長」としてトリオを組む山下正人さん。
中学で井上さんと出会い、高校で山下さんと出会い……なんか、人との縁が全部繋がっていく感じがして肌感で言うと「人生の伏線」みたいだなと。
サッカー退部が、笑いへの扉を開けた
高校2年生の秋、県大会でシュートを外したことで先輩から強く責められ、河本さんはサッカー部を退部します。9年間打ち込んできたスポーツを手放した瞬間でした。
その後、偶然に近い流れでMBSテレビの「素人名人会」に出演し、敢闘賞を受賞しています。
この経験が笑いへの関心の入口になったといわれていますが、河本さん自身は「お笑いがやりたかったわけじゃない」という状況からのスタートだったそうです。
挫折と偶然が折り重なって芸人への道が始まったっていうの、なんか……作り話みたいだけど本当の話なんですよね。
大学進学はせず、NSC大阪校へ
大学は選ばなかった理由
高校卒業後、河本さんは大学への進学を選んでいません。
工業高校で就職が一般的なルートだったこともあるでしょうし、お笑いへの関心がそこで芽生えていたことも大きかったんだと思います。
ただ、自分の見立てでは勉強への苦手意識(中学偏差値23は本人談)が進学への意欲を持ちにくくさせていた部分もありそうで、大学進学がそもそも選択肢に入りにくかったのかもしれません。
1994年、NSC大阪校13期に入学
1994年、河本さんは井上聡さんとサッカー部の仲間・山下正人さんの3人で吉本総合芸能学院(NSC)大阪校に出願し、全員合格。13期生として入学しています。
3人でまとめてNSCを受けに行くっていうのが、なんともいえないエモさがあります😂
岡山にお笑いのカルチャーがほとんどない環境で育ちながら、それでも3人で「やってみよう」となれたのは、きっと中学時代からずっと積み上げてきた一緒に面白いことをやる感覚があったからじゃないかと思います。
NSC大阪校13期の同期にはブラックマヨネーズ・野生爆弾・チュートリアルの徳井義実さん・くわばたりえさんなど、後に名前を知られることになる芸人が揃っていました。
入学翌年の1995年に井上聡さんとコンビ「次長課長」を正式結成し、心斎橋2丁目劇場でデビューしています。
河本準一の学歴まとめ
- 出身小学校は岡山県津山市内の小学校(正式校名は現時点で非公開)
- 出身中学校は岡山市立京山中学校(岡山市北区・公立)
- 出身高校は岡山県立東岡山工業高等学校・電子機械科(岡山市中区・偏差値46)
- 大学は進学なし
- NSC吉本総合芸能学院大阪校13期(1994年入学)
学歴だけ見ると「地方の工業高校卒」という一言で終わってしまいそうですが転居・離婚・いじめ・サッカー・挫折…と、学生時代のひとつひとつに物語があります。
勉強面での数字は決して高くなかったとしても人と出会い、笑いを積み重ねてきた経験値は、むしろ誰よりも豊かだったんじゃないかなと感じています。
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