佳久創の父、母、双子の兄とのエピソードまとめ

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この記事を読めば俳優・佳久創(かくそう)さんの父親(元プロ野球選手・郭源治)と母親(元ミス日本)にまつわるエピソード、そして「偉大すぎる親」を持つ息子が自分だけの道を切り拓くまでの物語がわかります。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』での活躍をきっかけに、「あの人って何者なの?」と気になりはじめた方も多いんじゃないでしょうか。

調べていくうちに家族のエピソードがめちゃくちゃ面白くて、気づいたら止まらなくなっていたので、まとめてシェアします

目次

父の郭源治は本当にすごかった

「郭ダンス」で一時代を築いた名投手

佳久創さんのお父さんは台湾出身の元プロ野球選手・郭源治(かくげんじ)さん。

1981年から16年間、中日ドラゴンズで投手として活躍し、通算106勝116セーブという記録を残しました。

「100勝100セーブ」を達成したのは日本球界でわずか6人。その希少な記録の保持者なんです。

1987年・1988年は2年連続でセーブ王を獲得し、1988年には優勝を決める胴上げ投手にもなっています。これ、野球ファンじゃなくても「すごい」ってわかるレベルの実績。

そのうえ、マウンド上の独特な投球フォームは「郭ダンス」と呼ばれて親しまれていたとか。

見た目でも個性を発揮できる人だったんですね。なんか親子で「でかくて個性的」という共通項がある気がしました

1989年に日本国籍を取得「佳久」という苗字の由来

郭源治さんは1989年に日本国籍を取得していて、その際についた日本姓が「佳久(かく)」。佳久創さんのちょっと珍しい苗字はここからきているんですよね。

もともとは台湾原住民族のアミ族の血を引いているそうで、それが佳久創さんの185cmの長身や日本人離れした体格に繋がっているのかなと思います。

現役引退後は台湾に戻り、アマチュア野球のコーチとして活動しているみたいです。

「郭源治の息子」は窮屈だった

比べられることへのプレッシャー

ここ、個人的にいちばん気になったポイントです。

佳久創さんは小学生のころから野球をやっていました。お父さんと同じ投手として。

でも、周囲から「あいつ、郭源治の息子らしいぞ」と言われるのが嫌で早々に野球を辞めてしまうんです。

思春期に「◯◯の子」という目で見られるのって、けっこうきついですよね。

しかも相手が106勝を挙げた名投手となれば、なおさら。

ちょっとでもミスをすれば「えっ」という反応が返ってくる。それが本当につらかったと本人がインタビューで語っています。

自分はあくまで「佳久創」でいたい。それだけの話なんですけどそれが難しい環境だったんでしょう。

ラグビーとの出会いが「救い」になった

中学に入ってからも野球部に籍を置いていたんですがプレッシャーから部活に行けなくなってしまう時期があったそうです。

そこへ救いの手を差し伸べてくれたのがラグビー部の顧問の先生。声をかけてもらったことで、佳久創さんはラグビーの世界に入っていきます。

これ、すごく大事な出会いだと思っていて。

もしその先生がいなかったら、7人制日本選抜にもなれていなかっただろうし、今の俳優・佳久創さんも生まれていなかったかもしれない。点と点って、後から繋がるものなんですね。

転向を見守った父の「沈黙」

野球を辞めてラグビーへ転向したとき、お父さんから何か言われましたか?という問いへの答えが印象的でした。

「父からは何も言われませんでした」

と。

ただひとつ、国立競技場の早明戦でプレーする姿をお父さんに見せられたことが「嬉しかった」とも話しています。

何も言わないけれどちゃんと見ていてくれた。

そういう父親像が浮かんでくるんですよね。干渉しない愛情というか。

あと、「天才肌の父の指示が分からなかった」とインタビューで明かしていたのも面白いなと思いました。

感覚で動けてしまう天才と、努力型の息子。言語化できないすれ違いみたいなものがあったのかもしれません。

母・美恵子さんがまたすごい

1984年ミス日本×元キャビンアテンダント

お母さんの美恵子さんは1984年のミス日本に選ばれた方で、元キャビンアテンダントという経歴の持ち主です。

…うん、すごいな。

正直このエピソードを知ったとき、「その遺伝子の組み合わせで出来上がったのか」と妙に納得してしまいました。

185cmの長身・鍛え上げられた体格・端正な顔立ち。

それ全部この両親から受け継いでいると思うと、なんというか遺伝の力を感じます。

国際的な家庭環境で育った

お父さんが台湾出身でお母さんが元CAとして国際線を飛び回っていたとすれば、家庭の空気もきっと「大きな世界」を向いていたんじゃないかなと。

子どものころから多様な価値観に触れていた可能性はけっこう高そうです(あくまで私の見立てですが)。

佳久創さんが俳優になってから「もともと小さいころに兄と芝居ごっこをして遊んでいた」と郭源治さん本人も語っているそうで。

そういう「遊びが創造性になっていく」環境が自然と整っていたのかもしれないですね。

双子の兄・佳久耀との絆

社会人野球を選んだ兄、ラグビーを選んだ弟

同じ「郭源治の息子」として同じ比較にさらされたはずの双子の兄・耀さん。ところが兄の耀さんはそのまま野球を続け、社会人野球選手として活動しています。

双子なのに選んだ道が全然違う。これって面白くないですか?

同じ環境で育ったのに、プレッシャーへの向き合い方がまるで違う。

創さんは「逃げた(悪い意味ではなく)」けど、耀さんは「向かっていった」わけで。どちらが正解とかじゃなくて、個性の違いが出た感じがしてなんか好きなエピソードです。

生放送のサプライズで泣きそうになった

2026年6月6日放送のNHK『土スタ』での話が、SNSでかなり話題になっていました。

放送中、佳久創さんがカメラに向かって「来世も双子がいいね!」とメッセージを送ったら、スタジオに双子の兄・耀さんがサプライズ登場。

佳久創さんは「うそー!マジか!」と椅子から立ち上がって驚いていたそうです。

「どこ行くにもまず兄貴を誘っちゃう」「この歳になっても全然仲がいい。信頼しています」という言葉もリアルですよね。

35歳になっても双子の兄を「まず誘う」って、うん、なかなかそういう関係性はそう作れないと思います。

しかもお兄さんが「ドラマ見てニヤニヤしちゃいますね。ほぼこいつじゃん」とコメントしていて。弟のことを誰よりもよく知っている人間が言う一言の説得力よ。

まとめ 「比べられること」が強さになった

  • 父・郭源治は中日ドラゴンズで通算106勝116セーブを記録したレジェンド投手。1989年に日本帰化し「佳久」姓に
  • 母・美恵子さんは1984年ミス日本選出の元キャビンアテンダントという経歴
  • 「郭源治の息子」と比べられるプレッシャーが野球からの転向を後押し。父は何も言わなかった
  • 小さいころから兄と芝居ごっこをしていたと父本人が証言。俳優志望はもともとあった
  • 双子の兄・耀さんとは35歳の今も深い信頼関係。生放送サプライズで「来世も双子がいい」

偉大な父親の名前から逃げるように始めたラグビーが、結果的に世界で通用する体格と精神力を育て、引退後は「最初からやりたかった」俳優の道へ。

なんか、すべての点が繋がっているような話だなと思います。

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