この記事を読めば長谷川健太監督が歩んできた小学校〜大学までの学歴を、各学校のエピソードや考察もあわせて全部把握できます。
「なんとなく清水出身のサッカー人
」くらいの認識だった方も読み終わるころには「この人の背景、すごすぎる」ってなると思います。
小学校は静岡市立清水入江小学校
「ちびまる子ちゃん」の舞台、その実在する学校
長谷川健太が通っていた小学校は静岡市立清水入江小学校です。
清水エスパルスの公式プロフィールにも「清水FC(清水入江小・清水第一中)」と明記されていて、これは確実な情報として押さえておいていいと思います。
この学校、名前を聞いてピンとくる方も多いはず。
そうです、漫画『ちびまる子ちゃん』の舞台になったあの入江小学校の実在版です。
実際に作者のさくらももこさんもここの卒業生、長谷川健太とは小学5・6年生のときに同じクラスだったんですよね。
日本代表FWと国民的漫画家が、同じ教室で算数を習っていたってちょっとすごくないですか😂
入江小学校が産んだサッカー選手たちの話
これがまたすごくて長谷川健太だけじゃなくて西澤明訓さん(元日本代表FW)や鈴木啓太さん(元日本代表MF)も同じ小学校の卒業生なんです。
清水区の一小学校からこれだけの日本代表選手が出ているというのはサッカーどころ・清水の空気感が相当だったんだろうなと思います。
ちなみに、さくらももこさんの父親と長谷川健太の母親も同級生だったというエピソードもあります。
家族単位でご縁があったみたいで清水という町の人と人のつながりの密度みたいなものを感じますよね。
小学6年生で全国制覇という事実
ここが最初のターニングポイント。
長谷川健太は清水FCという少年チームに所属していて、小学6年生のときに第1回全日本少年サッカー大会で優勝を果たしています。
清水FC、実は清水市内の江尻小・入江小・庵原小から子供を集めて結成した選抜チームで、「日本一のチームをつくる」という目的で作られた歴史ある組織でした。
その最初の大会で頂点に立ったのが長谷川健太たちの世代。
なんか、物語の始まりにしては出来すぎていると感じます。
このチームから生まれたのがのちに「清水三羽烏」と称される長谷川健太・大榎克己・堀池巧のトリオです。
3人が同い年で同じチームにいたというのは本当に偶然なのか、はたまた清水という土地が必然的に生み出したのか……個人的にはちょっと後者な気がしています。
中学校は清水第一中学校
公式資料にはっきり記載あり
中学校については、清水エスパルスの公式サイトに掲載されたプロフィールに「清水FC(清水入江小・清水第一中)」と記されています。
ここは公式情報として確認できたので清水第一中学校が出身校であることは間違いないでしょう。
正直、中学校時代のエピソードは公式インタビューなどではほとんど出てこないので、詳細は把握しきれていないのが現状です。
ただ、清水第一中学校は清水入江小学校からの進学先として自然な流れにある地域の公立中学校で、地元のサッカー文化の中で腕を磨いた時期だと考えられます。
清水FCで積み上げた全国優勝の経験を持つまま中学に進んだわけですから、すでにその地域では別格の存在だったんじゃないかなと思います。あくまで考察ですが。
高校は静岡県立清水東高等学校
「文武両道」が本当に成立している学校
高校は静岡県立清水東高等学校に進学します。
この学校、サッカーが強いのは知っていたんですが改めて調べてみると偏差値が63〜69という、県内でも指折りの進学校なんですよね。
普通科で偏差値63、理数科だと69。2024年のデータでは東大合格者4名、京大3名、早慶上理ICU41名という進学実績を残していて、国公立大への進学者が学年の約半数という環境です。
つまり長谷川健太は「サッカーが得意だから入れた」じゃなくて、勉強もちゃんとできていたということになります。
のちに筑波大学(しかも体育専門学群は入試難易度も高い)に進めたのも納得感がありますよね。
高校2年で全国制覇。しかも翌年も決勝へ
清水東高校には1981年に入学し、在籍したのは1981〜1983年度です。
で、高校2年生にあたる1982年度(第61回全国高校サッカー選手権)で優勝を果たしています。
このときの決勝で韮崎を4-1で下したチームは、全5試合で17得点1失点という圧倒的な成績を残しています。
さらに翌1983年度も代表として出場し、決勝まで進出するも帝京に惜敗して準優勝。2年連続で全国決勝の舞台に立っていたんです。
この時期の清水東高サッカー部、ちょっとおかしいくらい強かったんだなと。
武田修宏が「先輩」として語る逸話
2026年3月、元日本代表の武田修宏さんがSNSで清水東高時代の長谷川健太について投稿したことも話題になりました。
武田さんは長谷川より1〜2学年下なので、まさに全国制覇した先輩チームを間近で見ていた世代です。
こういう縦のつながりがあったからこそ清水東という名前がサッカー界で語り継がれているのかもしれないですね。

大学は筑波大学体育専門学群
「体育の東大」と呼ばれる環境に飛び込んだ理由
高校卒業後の1984年、長谷川健太は筑波大学の体育専門学群へ進学しています。
筑波大学の体育専門学群はスポーツ科学・体育の分野では国内で最も歴史と実績のある学群のひとつ。
サッカーでいえば筑波大蹴球部は関東大学リーグ1部の強豪として知られていて、ここからプロに進んだ選手は数えきれません。
なぜ筑波を選んだのかという直接的なコメントは見当たらなかったのですが、清水東高校でも文武両道を体現してきた長谷川健太が「サッカーも学問も突き詰めたい」と考えたとすれば、筑波以外の選択肢はほぼなかった気がします。
あくまで私の見立てですがこれは案外外れていないんじゃないかと思っています。
大学でも関東リーグ1部で活躍
筑波大学時代は関東大学リーグ1部でプレーし、チームとしても上位争いに加わっていました。
週刊エコノミストのインタビューでは谷川監督自身が大学時代の経験を指導哲学に重ねる話をしていて、競技と知識を同時に積んだこの4年間がのちの監督業に深く影響しているのだろうと感じます。
ちなみに大榎克己や堀池巧とは大学・JSLの時期もライバルとして切磋琢磨し続け、最終的に清水エスパルスでチームメイトになるという、なんかドラマ的な展開を迎えます。
小学生のころから同じ時代を生き続けてきた3人が、プロの舞台でまた合流するって……なんかすごいですね。そういう感じ。

卒業後は日産自動車、そして清水へ
筑波大学を卒業した1988年、日本サッカーリーグ1部の日産自動車(現・横浜F・マリノス)に加入します。
日産の黄金期に入り、その後1992年に地元の清水エスパルスへ移籍して1999年に現役引退。Jリーグ通算207試合47得点という数字を残しました。
引退後は浜松大学で指導者の第一歩
りんたろー。の「恩師」だったという話
現役引退後、最初に監督として携わったのが常葉学園浜松大学(現・常葉大学浜松キャンパス)のサッカー部です。
これ、調べていてけっこう面白かったんですが、お笑いコンビEXITのりんたろー。さんが浜松大学サッカー部出身で、その当時の監督が長谷川健太だったというエピソードがあります。
りんたろー。さんは「恩師」と呼んでいて2026年5月に念願の再会を果たしたそうです。
サッカー日本代表クラスの名将が、若い時代に大学生の指導者として経験を積んでいたというのは、今思うと「監督・長谷川健太」の素地がここから作られたんだなと感じます。
その後2005年に清水エスパルスの監督に就任し、以降Jリーグで輝かしい実績を残していくわけです。
まとめ
改めて整理すると長谷川健太監督の学歴はこんな流れです。
- 小学校は静岡市立清水入江小学校(さくらももこと同級生。清水FCで全日本少年サッカー大会優勝)
- 中学校は清水第一中学校(公式プロフィールに「清水FC(清水入江小・清水第一中)」と明記)
- 高校は静岡県立清水東高等学校(偏差値63〜69の進学校。1982年度全国選手権優勝・翌年準優勝)
- 大学は筑波大学体育専門学群(関東大学リーグ1部で活躍。1988年に日産自動車へ入部)
- 大学卒業後(指導者としての原点)は常葉学園浜松大学サッカー部監督として指導者キャリアをスタート
小学校で全国制覇、高校でも全国制覇、大学でリーグ上位、そのまま日本代表へ。振り返ってみると一切ブレていないキャリアの連続性があって、それが今の長谷川健太という指導者の説得力につながっているんだなと思います。
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