綾戸智恵の息子イサが難病を乗り越えた話 嗅覚を失っても焙煎士になった理由

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この記事を読めば綾戸智恵(あやどちえ)さんの息子・イサさんが患った難病「好酸球性副鼻腔炎」の実態と、一度は夢を失いながらも全く別の道で輝くことになった親子の物語がまるごとわかります。

難病を抱えながらどう生きていくのか。

そんなことを考えている人にぜひ読んでもらいたい話です。

目次

綾戸智恵の息子・イサさんってどんな人?

基本プロフィール

まずイサさんのプロフィールをまとめておきます。

項目内容
本名イサ(苗字非公表)
生年1990〜1991年ごろ
年齢36歳
出身アメリカ(ニューヨーク)→日本
ルーツ日本人×アフリカ系アメリカ人のハーフ
難病名好酸球性副鼻腔炎(国指定難病第306号)
発症時期2014年ごろ(当時24歳前後)
現在の職業コーヒー焙煎士「まいど屋アフロ珈琲」代表

お母さんである綾戸智恵さんが公式の場で明かした情報をもとにまとめていますが、イサさん自身の詳しい個人情報(フルネームや正確な生年月日など)は非公表のため、一部は目安の情報です。

シングルマザーが育て上げた子ども

綾戸さんはニューヨークで出会ったアフリカ系アメリカ人のジャズミュージシャンと結婚し、33歳のときにイサさんを出産しました。

ところが夫のDVが深刻化し、わずか1年半で別れを決意。生後6ヶ月のイサさんを連れて日本へ帰国することになります。

帰国直後、追い打ちをかけるように乳がんが再発。

2度目の摘出手術を受けながら、英語やピアノを教えたり、ジャズバーで演奏したりと何でもこなして生計を立てていました。

当時は「がん=死」というイメージが強かった時代ですから、その精神的な重さは相当だったと思います。

それでも40歳でメジャーデビューを果たし、翌年のアルバムがヒット。

あっという間に「最もチケットが取れない歌手」と呼ばれるほどの存在になります。

年間250公演をこなしながら、シングルマザーとして息子を育て続けた。そのエネルギーはどこから来ていたんでしょうね。

いじめ、不登校、屋久島へ。イサさんの波乱の幼少期

3ヶ月で不登校になったリアル

イサさんは日本人と外国人のハーフとして育ち、小学校に入学するとすぐにいじめに遭ってしまいました。

たった3ヶ月で学校に行けなくなり、そこから5年間、綾戸さんが自宅で勉強を教えるという日々が続きます。

ここで気になるのは、その5年間の中身です。250公演もこなす歌手が毎日家で息子の勉強を見続けた。という事実に、個人的にはちょっと驚きました。

綾戸さんは当時を振り返るインタビューでこう語っています。

「子どもがおるねんで。絶対に家中心でないと歌わんで。今の暮らしを崩さないのが条件や」

契約書すら交わさなかったほど仕事よりも息子を優先していたんですね。

屋久島での出会いが人生を変えた

転機は登山家・野口健さんが企画した屋久島の合宿への参加です。たった4日間なのに、イサさんはそこで大きく変わりました。

屋久島の子どもたちと一緒に森を歩き、自然の中で遊んだことで表情が生き生きとしてきて、合宿が終わった後に「屋久島の小学校に転校したい」と自分から言い出したそうです。

そのたった4日が、5年間の不登校をひっくり返した。

なんか、環境ってすごいですよね。綾戸さんはすぐに役所へ掛け合い、転校を実現させました。

イサさんを襲った難病 好酸球性副鼻腔炎とは何か

匂いが消えていく病気

2014年、当時24歳前後のイサさんは「好酸球性副鼻腔炎(こうさんきゅうせいふくびくうえん)」を発症します

この病気、知らない方も多いと思うので少し説明させてください。

好酸球性副鼻腔炎は鼻の内部や副鼻腔に「好酸球」と呼ばれる免疫細胞が異常に集まって炎症を起こし、鼻茸(ポリープ)が大量に発生する病気です。普通の副鼻腔炎と違って、嗅覚障害が非常に強く出るという特徴があります。

2015年に厚生労働省が国の指定難病(第306号)として認定しており、治療しても再発を繰り返しやすいことから、医療の現場でも「難治性」と位置づけられています。主な症状はこんな感じです。

  • 鼻茸(ポリープ)が鼻の中に多発する
  • 頑固な鼻づまりが続く
  • 嗅覚障害(匂いを感じなくなる)
  • 味覚への影響
  • 気管支喘息を合併するケースも40〜70%に及ぶ

「匂いがしない」ってピンとこない方もいるかもしれないんですがこれ、想像以上に深刻なんです。

嗅覚を失うことの深刻さ

食欲そのものが落ちること、ガスや火事などの危険を察知できないこと、日常のあらゆる場面で影響が出ます。

イサさん自身、公式サイトで「匂いを感じなくなり、味覚もおかしくなって食べることが難しかった」と明かしています。

自分が思うに、これって単純に「鼻が悪くなった」じゃなくて、世界の見え方が変わってしまうような感覚に近いんじゃないかなと。匂いと記憶ってものすごく繋がっていますから。

整備工の夢が断たれた瞬間

当時イサさんは車の整備工になる夢を持って勉強中でした。ところが担当の先生から

「ガソリン漏れなど緊急時に嗅覚がないと命の危険がある」

と涙ながらに告げられ、その道を諦めざるを得なくなります。

「徹子の部屋」では2017年にイサさん本人も出演してこの経験を語っており、黒柳徹子さんも真剣な顔で聞き入っていたそうです。

テレビ朝日の番組紹介文には「愛息のイサさんが3年前、においを感じなくなるという難病を発症したことを告白」と書かれていました。

整備工という具体的な夢を目指している最中に突然「その道は無理」と言われる。そのショックはどれほどのものだったか。考えると言葉が出ないです。

嗅覚を失っても焙煎士へ 逆転の発想と世界へのメール

まず世界中の患者にメールを送った

夢を失ったイサさんがとった行動がなんか個人的にはめちゃくちゃ印象に残っています。

世界中にいる好酸球性副鼻腔炎の患者に、片っ端からメールを送り始めたんです

「同じ病気で、でも働けている人はいますか?」という問いかけを、言語の壁を越えて発信し続けた。

途方に暮れたとき、嘆くより先に行動する。これはもしかしたら、どんな状況でも前を向いてきた綾戸さんから受け継いだものかもしれないなと感じます。あくまで私の見立てですが。

南米の患者からの一通が人生を変えた

何十通ものメールを送り続けた結果、南米に住むある患者からの返信が届きます。

「自分も匂いがしないが、豆の色・音・見た目でコーヒーの焙煎をしている」

この一行が、イサさんの人生を変えました。

嗅覚がなくても焙煎士になれる。目と耳で判断する職人の世界があると知ったイサさんは、すぐに焙煎の勉強を始めます。

「なぜ誰もこれを言ってくれなかったの?」というより、「自分で探しに行った」からこそ出会えた情報だったんですよね。受け身じゃなかったことが、ここで生きてくる。

2017年「まいど屋アフロ珈琲」誕生

2017年、イサさんは自家焙煎コーヒー豆の専門店「まいど屋アフロ珈琲」を立ち上げます。

店名の由来がまた素敵で。「まいど屋」は綾戸さんの芸名・関西のノリに由来し、「アフロ」はイサさんのアフリカ系アメリカ人という血筋を象徴しています。

お母さんのDNAと自分のルーツ、両方を店名に込めた。みたいなことですよね。

綾戸さんも公式サイト上でこう書いています。

「ジャズに合うコーヒー、てなことで私もはりきって応援してます。皆さんから美味しいと聞きムチャクチャ嬉しいです」

おかあさん、嬉しそう😊

「まいど屋アフロ珈琲」の今

ネット通販を中心に展開

イサさんのお店は現在、店舗を構えるというよりもネット通販を中心にコーヒー豆を販売する形態をとっています。公式サイト(mydo-afrocoffee.jp)からオリジナルブレンドのコーヒー豆を購入できます。

イサさんは、焙煎士としてのキャリアをしっかり積み上げているようです。

中島美嘉さんが2023年にInstagramで「大好きな綾戸智恵さん!最高の贅沢な時間と場所。楽しい会話とランチありがとうございました〜!イサくんもありがとう〜!!」と投稿しており、綾戸さんとイサさんの仲の良さが伝わってきます。

芸能人との繋がりもあり、アフロ珈琲の認知度は着実に広がっていますよね。

「親子大賞2022」を受賞

2022年には、「親子の日」を提唱するNPO法人が主催する「親子大賞2022」をイサさんと綾戸さんの親子ペアで受賞しています。

表彰文にはこんな言葉が添えられていました。

「おばあさまやお母様から引き継いだDNAに導かれながらも今は自らの出会いを専心中。お二人の人に心地よい時間を提供するお仕事は、親から子へのエネルギーとして波紋のようにこれからも多くの人に伝わっていくのではないでしょうか」

これ、読んでいてじわっときました。

綾戸智恵が抱え続けた試練と息子への姿勢

17年の介護生活と息子の言葉

綾戸さんは母親が脳梗塞で倒れた後、約17〜20年にわたって介護生活を続けました。

年間200〜250公演という忙しいスケジュールをこなしながら、一人で介護を抱え込んで心身ともに限界を迎え、入院したこともあります。

そのときにイサさんが掛けた言葉が、読売新聞のインタビューで明かされています。

「お母さんとおばあちゃんの終着駅は違う」

たった一言。でもこれ、すごく深いと思いませんか。

「お母さんはおばあちゃんを見守る役割があるけど、お母さん自身の人生もある」

という意味だと思うんですが、難病を経験したイサさんだからこそ言える重みがある言葉な気がします。あくまで個人的な解釈ですが。

綾戸さんの母・ユヅルさんは2021年1月に94歳で亡くなりました。最期は綾戸さんの腕の中だったそうです。そしてその看取りをイサさんも一緒に支えていました。

難病があっても自分の人生を生きる

この親子の話の中で私がいちばん印象深かったのは「難病があっても諦めない」という話でなく、「難病があっても自分の道を自分で探しに行った」ということです。

整備工の夢を諦めた後、世界中にメールを送ったイサさんの行動には「誰かに助けてもらうのを待つ」という発想がなかった。これ、受け身になりがちな状況でこそ大事な姿勢だと思うんですよね。

好酸球性副鼻腔炎は根治が難しい病気ですが、近年は生物学的製剤(デュピルマブなど)の適用が始まっており、重症患者の症状を大きく改善させる効果が報告されています。

イサさんが今も病気とどう向き合っているかについては公表されていないため、現状は不明です。

まとめ

  • イサさんは1990〜1991年生まれ、綾戸智恵さんの一人息子(アフリカ系アメリカ人とのハーフ)
  • 幼少期にいじめによる不登校を経験し、屋久島転校で再登校を果たした
  • 2014年ごろに国指定難病「好酸球性副鼻腔炎」を発症し、嗅覚を失う
  • 目指していた車の整備工の夢を泣く泣く断念
  • 世界中の同じ病気の患者へのメールがきっかけで焙煎士という道を知った
  • 2017年に「まいど屋アフロ珈琲」を開業し、2022年には「親子大賞2022」を受賞
  • 綾戸さん自身も乳がん再発・17年以上の介護という試練を経験し、親子ともに逆境を力に変えてきた

好酸球性副鼻腔炎は指定難病ですが、正しい治療と自分に合った働き方の選択肢を探すことで、イサさんのように新しい道を切り開くことは十分可能です。

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