この記事を読めば鄭大世(チョン・テセ)さんが「なぜ日本で生まれ育ち、北朝鮮代表として戦い、Jリーグで輝き続けたのか」という問いの答えが、全部わかります。
正直、最初に「鄭大世はなぜ日本に?」というキーワードを見たとき、「え、日本生まれだから当然じゃない?」って思ったんです。
でも調べていくうちにこれがものすごく複雑で、でもすごく人間らしい話だってことに気づいて、書きながら何度もうなってしまいました。
サッカーに興味がなくても読んでほしいくらいです。
鄭大世ってそもそも何者?まずここから
プロフィールを整理するとこうなる
まず基本的なプロフィールをまとめてみました。意外と知られていない情報も混じっているので、ぜひ確認してみてください。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 鄭大世(チョン・テセ) |
| 生年月日 | 1984年3月2日 |
| 年齢 | 42歳 |
| 出身地 | 愛知県名古屋市守山区 |
| 国籍 | 韓国籍(父が韓国籍のため) |
| ポジション | フォワード(FW) |
| 出身校 | 愛知朝鮮初・中高級学校→朝鮮大学校(東京) |
| Jリーグ入団 | 2006年・川崎フロンターレ |
| 代表歴 | 北朝鮮代表(2007年〜2013年頃、33試合15得点) |
| W杯出場 | 2010年南アフリカ大会 |
| 主な所属クラブ | 川崎フロンターレ→VfLボーフム→1.FCケルン→水原三星→清水エスパルス→ アルビレックス新潟→FC町田ゼルビア |
| 引退 | 2022年シーズン終了後 |
| 引退後の活動 | サッカー解説者・バラエティタレント・講演活動 |
「日本生まれ」なのに「北朝鮮代表」って、どういうこと?
これ、最初に聞くとすごく混乱するんですよね。でも調べてみると鄭大世さんの家庭環境を知れば全部つながってきます。
父は韓国籍、母は朝鮮籍。そのため当時の法律では父の国籍が子どもに引き継がれ、鄭大世さんは韓国籍として生まれました。
ただ、育ちは完全に朝鮮学校。愛知朝鮮初級学校から始まり、朝鮮大学校まで16年間ずっと朝鮮学校で学んでいます。
「韓国に行っても、北朝鮮に行っても日本人扱い。でも日本にいても、日本人じゃない。故郷はいっぱいあるが、ホームがない」。
本人がそう語っているんですがこの一言があまりにリアルで。
国籍も育ちも、心の帰属も全部違う場所を指している。普通の人には想像もできない葛藤です。

なぜ「日本」でサッカーを始め、活躍できたのか
日本が「ホーム」だったという当たり前の事実
「なぜ日本でプレーしたのか?」という問いに対する答えを探していたんですが、実はシンプルな話でもあります。
鄭大世さんにとって日本は生まれ育った場所であり、母語が日本語で、人との繋がりもすべて日本にある。
そのため、プロとしてのキャリアをスタートするうえで日本のJリーグが最も自然な選択肢だったわけです。
朝鮮学校で育ったとはいえ、生活言語は日本語。
友人も、チームメイトも日常の全部が日本にある。
だから「なぜ日本?」じゃなくて、「日本しかなかった」というのが正確なのかもしれません。
朝鮮大学校からJリーグ1部へ。「前例ゼロ」の挑戦
個人的に一番驚いたのがプロ入りの経緯です。
鄭大世さんが入団した当時、朝鮮大学校出身の選手がJ1クラブと契約した事例は前例がありませんでした。
一般的にJリーグのトップクラブは強豪大学や高校から選手をスカウトします。
朝鮮大学校は当然スカウトの目が届きにくく、練習参加などで自らアピールし続けなければチャンスすら生まれない環境でした。
川崎フロンターレ、横浜Fマリノス、ジュビロ磐田、大宮アルディージャなど、複数クラブへのトライアウト的な練習参加を繰り返した末に2006年の川崎フロンターレ入団が決まります。
入団して2年目の2007年からはJ1でスタメンに定着し、3シーズン連続2桁得点を達成しています。
単純にFWとして強かった、それだけの話ですがそこに至る過程がものすごく険しかった。

北朝鮮代表を選んだ理由とW杯の舞台
「韓国籍なのに北朝鮮代表」を可能にした仕組み
ここがいちばん複雑な部分です。
韓国籍を持つ選手が北朝鮮代表になれたのは、北朝鮮のパスポートを別途取得できたからです。
本人も番組の中でこう語っています。
「元々韓国国籍ですよ。でも北朝鮮のパスポートをもらえて、北朝鮮のパスポートだったら代表になれたんですよ」
朝鮮学校で育ち、「心の祖国は北朝鮮」というアイデンティティを持っていた鄭大世さんにとって、日本代表や韓国代表ではなく北朝鮮代表として立つことが自分にとって正直な選択だったのだと思います。
それはスポーツを超えたアイデンティティの表明だったんでしょうね。

2010年南アフリカW杯、あの涙の理由
2010年のFIFAワールドカップ南アフリカ大会。グループリーグのブラジル戦前、国歌「애국가(愛国歌)」が流れた瞬間に鄭大世さんが流した涙は、世界中のメディアが報道しました。
本人はのちのインタビューでこう振り返っています。
「ブラジル戦は1秒でも長くこのピッチに立っていたいと思っていました。試合前、横でブラジル代表がウォーミングアップをしている姿を見ただけで涙が出たし、国歌を聞いた時にも涙が出ました」
まあ、この説明を読んでも100%理解できるかというと正直難しいんですよね。
日本で生まれて、朝鮮学校で育って北朝鮮のパスポートを持って、W杯のピッチに立つ。
その感情の重さは当事者でないと到底わからないかもしれない。でもだからこそ、あの涙は見た人の記憶に焼き付くんでしょうね。
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— GOAL Japan (@GoalJP_Official) June 15, 2018
あれから8年…“死のグループ”を経験した鄭大世が語るW杯で流した涙のワケ#鄭大世@ChongTese9#南アフリカW杯#ワールドカップ#清水エスパルス#Jリーグ
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W杯から16年、ずっと消えなかった後悔
「0対7の原因は僕」という告白
2026年6月、ABEMAの番組「資産、全部売ってみた」に出演した鄭大世さんが涙ながらにある告白をしました。
ポルトガル戦(0対7大敗)の試合中、決定機を外してイライラした鄭大世さんはロッカールームでペットボトルを投げたところ、それが味方選手に当たってしまった。
キャプテンから激しく叱責され、チームの雰囲気が一気に崩壊。後半だけで6失点を喫したと語っています。
「ワールドカップで0対7の大敗、原因は僕なんですよ。謝っても許されないくらい記録に残っちゃった」
そう言いながら泣いていた。
これ、かなりしんどい話です。
W杯に出場したこと自体は輝かしい話なのに、その内側にこれほどの重荷が16年間ずっとあったわけで。
本人も同じ番組内で
「北朝鮮代表を見下していた。感情を我慢できないから周辺の人を苦しめた。代表では超問題児で、北朝鮮の選手たちがもう在日の選手は呼ばないでくれって言ってたくらい」
と語っています。
そんなこと誰も今まで言ってくれなかったんですよね。あの涙の裏にこんな話があったとは、私も知らなかったです。
#卒業生の活躍#鄭大世
— 朝鮮学校支援チーム (@koreans_school) June 13, 2026
鄭大世さんが明かした、在日としての苦悩と仲間の温かさ
在日朝鮮人として生きてきたアイデンティティがある一方で、当時、日本で育ったがゆえに朝鮮代表を見下してしまっていたという鄭大世さん。…
北朝鮮代表を事実上去るしかなかった事情
2013年、鄭大世さんは水原三星(韓国のJリーグ相当のクラブ)への移籍に際して韓国パスポートを取得します。これにより、北朝鮮代表として活動することは事実上できなくなりました。
本人が後に語った言葉がこれです。
「代表引退当時は北朝鮮代表は弱いし報酬ももらえない。ユニフォームもかっこ悪い。環境も劣悪だし代表選手としての価値に意味はない、と自分に言い聞かせて韓国へ渡った」
割り切ろうとしてでも本当は割り切れていない。そういう葛藤を正直に話せるのが、鄭大世さんという人なんだなと思いました。
さらに2024年の日本対北朝鮮の試合を日本テレビの解説として見守った後、SNSで「裏切り者と言われた」という心境を吐露しています。
もう10年以上経っているのにまだそういう感情がある。そういう話のほうが、なんか人間っぽくていいなと。
日本での活躍を支えた「熱さ」と「問題児」の両面
「人間ブルドーザー」と呼ばれた理由
鄭大世さんのプレースタイルを表す言葉として「人間ブルドーザー」がありますが、これはゴール前での体を張ったプレーと圧倒的な推進力を表した異名です。
180cmを超える体格と止まらない突進力。FWとして純粋な怖さがあった。
ただ、当の本人はこう振り返っています。
「僕がチームに悪影響を与えた。監督にとって扱いにくい選手だった」
メンタル面の弱さを自覚していて、感情が爆発しやすい自分を抑えられなかったこともある、と正直に語っています。
すごく正直な人だと思います。
引退してから、現役時代の「かっこ悪い部分」も全部しゃべっちゃうんですよね。
それが今の人気に繋がっているのかもしれません。

ドキュメンタリー映画「TESE」が記録したもの
2011年には鄭大世さんを3年半にわたって追い続けたドキュメンタリー映画「TESE」が公開されています。撮影期間はなんと1000日以上。
日本代表として出られる立場でありながら北朝鮮代表を選んだこと、在日コリアンとして複数のアイデンティティの間で揺れる姿を、一切のナレーションなしで映し出した作品です。
映画の存在からも鄭大世さんという人物が当時からいかに「語られるべき存在」として認識されていたかがわかります。
サッカー選手のドキュメンタリーとしてだけじゃなく、在日コリアンの生き方を問う作品としても評価されています。
引退後は解説者、タレント、そして借金5億円
2022年引退後の多彩な活動
2022年末にFC町田ゼルビアでの現役生活を終えた鄭大世さんは、引退会見でこう言っています。
「次の舞台は韓国で芸能活動。基本はバラエティーになると思います。5年をめどに活動した後は、サッカーの監督をやりたい」
引退後は予告通り、日韓両方を行き来しながら活動していて日本ではプレミアリーグの解説が話題になったり、「千鳥の鬼レンチャン」にレギュラー的に出演したり。
かまいたち軍として走る鄭大世さんを見るたびに、「あの北朝鮮代表が……」ってなるの、個人的にはちょっとだけジーンとします。

「借金5億円」の話、これどうなの正直
で、いちばん話題になっているのが借金の件です。
「千鳥の鬼レンチャン」への出演時に、住宅ローンや投資などで借金2億円があることを告白したのが2024年。
そのあと2025年4月の出演時には3億8000万円に増えていて、さらに2025年12月の放送では「整理してみたら5億円ありました」という衝撃の告白をしています。
しかも「今月、利息が払えない」ってさらっと言うんですよ。それをバラエティ番組で話すあのメンタル、
ある意味すごすぎて笑えない…いや笑える……という感じで複雑。
住宅ローンがメインという話もあるのでいわゆる「ヤバい借金」とは少し性質が違う部分もあるとは思いますが、あくまで私の推測です。
ただ、5億円というのは普通に「桁が違う」のは間違いないですよね。
【鬼レンチャン】鄭大世、ふくれ上がる借金 衝撃の金額をさらりと告白https://t.co/eqyTfGQMn5
— オリコンニュース (@oricon) December 28, 2025
#千鳥の鬼レンチャン @oni_renchan
まとめ 鄭大世さんが「日本」と切り離せない理由
- 日本生まれの日本育ち。愛知県名古屋市出身で、日本語が母語。日本がすべての起点なんです
- 朝鮮学校16年間の教育が「心の祖国は北朝鮮」というアイデンティティを育み、結果的に北朝鮮代表として世界の舞台に立つことに繋がった
- 朝鮮大学校→Jリーグという「前例ゼロ」のルートで2006年に川崎フロンターレ入団。J1で3シーズン連続2桁得点を達成
- 2010年南アフリカW杯での国歌斉唱中の涙が日本でも広く報道され、知名度が一気に拡大した
- 2013年の韓国籍パスポート取得により北朝鮮代表活動は終了したが、日本でのJリーグキャリアは2022年まで継続
- 引退後は日韓両方で活動を展開。日本ではプレミアリーグ解説やバラエティ出演で人気を継続中
要するに鄭大世さんが日本にいるのは「日本が生まれ育った場所だから」というシンプルな理由ですがその背景には国籍・言語・アイデンティティが何重にも絡み合った非常に複雑な人生があります。
それを正直に笑いながら、時に泣きながら語ってくれるのが、鄭大世さんという人の魅力なんだと改めて感じました。
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