柿谷曜一朗の通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めば柿谷曜一朗(かきたによういちろう)さんがどんな学校をたどってきたのか、小学生の頃から大学まで一気にわかります。

正直、最初は「まあよくある選手プロフィールでしょ」くらいの気持ちで調べ始めたんですが、読み進めていくうちに普通の学生とは全然違う道を歩んでいたことがわかって、気づいたら相当な分量になっていました。

卒業文集に書いたことを本当に実現してしまっている話とか高校を転校した理由とか、意外と知られていないことがけっこう多いんですよね。

ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

目次

基本プロフィール

まずは基本情報をまとめておきます。

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項目内容
本名柿谷曜一朗(かきたによういちろう)
生年月日1990年1月3日
年齢36歳
出身地大阪府大阪市都島区
身長176cm
体重68kg
ポジションフォワード・ミッドフィールダー
引退2025年1月

引退発表は2025年1月。現役生活は18年間にのぼります。セレッソ大阪アカデミーで育ち、最終的に徳島ヴォルティスで現役生活を終えました。

幼少期〜小学校時代

4歳でセレッソ大阪スクールへ。そこがすべての始まり

小学校の名前については公式な情報として確認できていません。

出身が大阪府大阪市都島区なので、地元の公立小学校に通っていた可能性が高いかなとは思いますが、これは私の憶測です。

ただ、学校名よりはるかに重要なのが「4歳でセレッソ大阪スクールへ入団した」ということ

だって、普通の子が公園で遊んでいる年齢ですよね。

しかも入団のきっかけが「セレッソ大阪の選手バスと道路で偶然並んだ」からというのが、なんともドラマチックで好きです。

小学生の頃は今のようにYouTubeもSNSも当然ない時代に

絶対に誰もしないだろうと思う難しい練習を自分で考えて取り組んでいた

と後のインタビューで語っています。

練習開始の1時間前にグラウンドへ来て、1人でリフティングをひたすら続ける日々。まあ、小学生が毎朝そんなことやっていたら、そりゃ突き抜けますよね。

小学生ですでに「U-15の試合」に混じっていた

当時の柿谷さんはセレッソ大阪U-12に2000年から2001年まで所属しながらも、常に学年より上のカテゴリーで練習に参加していたみたいです。

サカママのインタビューでも

「いつも学年より上のカテゴリーに所属させてもらい、高いレベルの中でサッカーをした」

と言っていて、要するに「同年代の子とほとんどサッカーをしてこなかった」

という話なんですよね。

ちょっと変な感じもするかもしれないけれどこの経験こそが後の「天才」と呼ばれる礎だったんだと思います。

小学校の卒業文集には「16歳でプロになる」と書いたのも有名な話。

これが実際に現実になるわけですから、もうちょっとロマンがありすぎる。

中学校時代

中学校名は不明。でも「飛び級」の話がすごい

中学校についても公式に確認できる学校名は出てきていません。

大阪市都島区の出身なので地元の公立中学校に通っていた可能性がありますが、これも私の推測の域を出ないので、あくまで参考程度に。

でも中学時代のサッカーの話は、学校名なんてどうでもよくなるくらい濃い内容です。

2002年にセレッソ大阪U-15へ入ると中学2年だった2003年にはU-18チームの練習に参加する「飛び級」を経験しました。

U-18ってつまり高校生年代のチーム。そこで中学2年生が普通に練習しているわけで、どれだけ頭一つ抜けていたかが想像できます。

「同年代のサッカーをほとんどしなかった」という中学生活

サカママのインタビューでも

「中学時代もずっと上のカテゴリーでやっていたので、同年代の子たちとはサッカーをしてこなかった」

という趣旨のことを語っています。

個人的にこれってかなり特殊な中学生活だと思っていて、一般的な部活仲間との絆とか、学校の友達とワイワイするような青春とはまったく別の道を歩んでいたんですよね。

その孤高さが後の苦悩にも繋がっていくんですがそれはまた別の話。

高校時代の学歴①

追手門学院大手前高等学校に入学

2005年頃、柿谷さんは大阪府大阪市にある追手門学院大手前高等学校に入学しています。

同校の公式サイトでも柿谷さんを「本校56期生」として紹介していて、卒業生として名前が残っているんですね。

追手門学院大手前高校ってどんな学校?と思って調べてみたんですが、1888年(明治21年)創立の長い歴史を持つ大阪の私立校で学業面では「スーパー選抜コース」や「特進コース」など進路に応じた分岐があり、難関国公立大学や医歯薬系を目指す生徒向けのカリキュラムも整っているみたいです。

偏差値的にも大阪では中堅以上の進学校という位置づけで、個性を尊重しながらも学力を伸ばす方針が特徴的な学校です。

そこにセレッソ大阪のアカデミー所属選手として入学したわけで、学校とクラブの両立をしていた時期。ただ、それは長くは続きませんでした。

高校時代の学歴②

16歳でプロ契約→ウィザス高等学校(現・第一学院高等学校)へ転校

高校在学中の2006年、柿谷さんはセレッソ大阪とプロ契約を締結。クラブ史上最年少、16歳での快挙でした。

ここからが学歴のなかでいちばんドラマチックなポイントです。

プロ契約を機に追手門学院大手前高校からウィザス高等学校(現在の第一学院高等学校)へ転校しています。

転校の理由は明快でプロ選手として練習と試合に集中するための時間を確保するため

通信制・単位制の学校へ移ることで自分のスケジュールに合わせて学業を進められる環境を選んだわけです。

ウィザス高等学校(現・第一学院高等学校)ってどんな学校?

これは補足しておきたいんですが当時の「ウィザス高等学校」は現在の第一学院高等学校です。

大阪に本社を持つ株式会社ウィザスが運営する、広域通信・単位制の高等学校で全国に60以上のキャンパスがあります。

この学校の一番の特徴は、「夢の実現と学業の両立」を掲げているところ

スポーツや芸能活動をしながら高校卒業資格を取れる仕組みになっていて、実際に久保建英選手(レアル・ソシエダ)や伊藤洋輝選手(FCバイエルン・ミュンヘン)、酒井宏樹選手など、名だたるサッカー選手の出身校でもあります。

柿谷さんが通っていた当時からこういうプロ予備軍の選手が多く集まる学校だったんでしょうね。

16歳で世界のビッグクラブの練習に参加という、ちょっとすごすぎる話

転校した2006年、柿谷さんはプロ1年目として短期海外研修にも参加しています。アーセナルやインテル・ミラノのユース練習に参加したという記録が残っていて、高校生なのにですよ。

まあこれに関しては「16歳でプロ契約した選手が高校生やってる」という時点でそもそもレアケースなので、そこに驚くべきなのかもしれないですけど。

大学の学歴

早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に入学

高校卒業後の2008年、柿谷さんは早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)に入学しています。

個人的にここが一番意外だったポイントで、プロサッカー選手として活動しながらしかも早稲田大学に。すごくないですか?

早稲田大学人間科学部eスクールってどんな課程?

eスクールはインターネットを通じて学修する早稲田大学の正規の通信教育課程です。

文部科学省認可なのできちんと卒業すれば正式な早稲田大学卒業となります。

入学にはβコース(高校卒業資格が条件)とαコース(短大・四大卒が条件)があり、柿谷さんの場合はウィザス高等学校を卒業していることからβコースでの入学だと推測されます。

入試は書類(志望動機書)による一次選考と面接による二次選考という形式で、偏差値で競うわけじゃないけど、誰でも入れるものでもないんですよね。

卒業したの?という疑問について

正直に言うと早稲田大学を卒業したかどうかについては、公式な情報が確認できていません。

プロサッカー選手として現役でばりばり活動しながら大学の単位を取り続けるのは、かなりハードルが高い話でしょうし、どこまで在籍・修了したかは不明のまま。

この点は憶測で書けないので、「入学した」という事実だけをお伝えしておきます。

とはいえ、プロ選手として活動しながら早稲田に入学するという選択自体、相当な意識の高さを感じます。

サッカー以外にも自分の可能性を広げようとしていた姿勢は当時からずっと変わっていないのかもしれません。

学歴まとめ一覧

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時期学歴・所属
1994年(4歳)〜セレッソ大阪スクール入団
2000〜2001年セレッソ大阪U-12
2002〜2004年頃セレッソ大阪U-15(中学年代)
2003年頃U-18チームへ飛び級参加(中学2年から)
2005年頃追手門学院大手前高等学校入学
2006年ウィザス高等学校(現・第一学院高等学校)へ転校、同年プロ契約締結
2008年早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)入学

学歴から見えてくる柿谷曜一朗の素顔

「16歳でプロ」という約束を本当に果たした人

卒業文集に「16歳でプロになる」と書いて、本当になった人。

これだけでもう充分すごい話なんですが、調べてみると「天才だからできた」という単純な話じゃなかったんですよね。

小学生の頃から人より1時間早くグラウンドに来て自分で考えた練習をしていた、中学2年でU-18と練習していた、そういう積み重ねがあっての16歳なんだと思うとなんか胸に刺さるものがあります。

学校よりサッカーを選ぶことへの葛藤は?

これは私が個人的に気になっているポイントで、追手門学院からウィザス高校に転校するとき、柿谷さん自身はどう思っていたんだろうと。

進学校に入学しておきながら通信制へ移るのは、周囲の目が気になる年齢でもあります。当時16歳ですし。

ただ、後のインタビューを読む限り、そこに後悔のようなニュアンスは感じられなくて、むしろ「プロサッカー選手になるために必要な選択をしてきた」という軸が一貫している印象を受けます。

学歴というより、自分が何を選ぶかを早い段階から決められていた人だったんじゃないかなと感じています。

まとめ

  • 出身小・中学校の名前は公式に確認できていないが大阪市都島区出身で、4歳からセレッソ大阪スクールに通い始めた
  • 中学2年でU-18に飛び級参加するなど、常に学年を超えた環境でサッカーを続けた
  • 高校は追手門学院大手前高等学校(大阪市の進学私立校)に入学
  • 2006年、クラブ史上最年少16歳でのプロ契約を機にウィザス高等学校(現・第一学院高等学校)へ転校
  • 第一学院高等学校は久保建英選手など多くのサッカー選手も在籍した通信制・単位制の高校
  • 高校卒業後の2008年に早稲田大学人間科学部eスクール(通信教育課程)へ入学
  • 卒業文集に「16歳でプロになる」と書き、実際に実現した
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