関口メンディーの通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めば関口メンディーさんが通った小学校から大学までの学歴と、各時代のエピソードが全部わかります。

「野球少年だったって本当?」
「なんで大学辞めたの?」

という疑問も、ここで全部解消できますよ。

目次

プロフィール

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項目内容
本名関口メンディー
生年月日1991年1月25日
年齢35歳
出身地アメリカ・ニュージャージー州(1歳で来日)
血液型O型
出身小学校非公表(品川区立と推測)
出身中学校品川区立鈴ヶ森中学校(複数情報より)
出身高校郁文館高校(東京都文京区・私立)
出身大学日本体育大学体育学部体育学科(中退)
所属元GENERATIONS from EXILE TRIBE

アメリカ生まれ、でも育ちは品川

1991年1月25日、アメリカのニュージャージー州で生まれた関口メンディーさん。

父親がナイジェリア人、母親が日本人というハーフです。

「アメリカ出身でハーフなら英語ペラペラでしょ?」って思いますよね。

でも実際は、生後1歳で東京都品川区に移住しているので育ちはがっつり日本なんです。

英語が話せなかったという話も本人が語っていましたし、学生時代の友達との会話も当然日本語。

アメリカ生まれということがむしろちょっとした豆知識になっているくらいの感じですね。

小学校1年生の頃に両親が離婚して、その後はお母さんが女手ひとつで育ててくれたといいます。

「関口」という苗字もお母さんから引き継いだもの。シングルマザーのもとで育った、ということはご本人の人柄に何かしら影響しているんだろうなあと、個人的には思っています。

小学校時代

出身校は非公表 でも品川区のはず

小学校の校名は公式に明かされていません。ただ、品川区内に住んでいたことはわかっているので、近隣の公立小学校に通っていたはずです。

いくつかの情報では「鈴ヶ森小学校」や「浜川小学校」の名前が挙げられていますが、確定情報ではなく、あくまで推測の域を出ていない状況。

ここは憶測なので、断言するのは避けておきますね。

品川区の小学校について少し調べてみると、鈴ヶ森小学校は大井競馬場の近くに位置するわりと歴史のある学校で、海に近いエリアの住宅街に溶け込んでいる雰囲気。

地域密着型の公立校です。

浜川小学校も同じく品川区南部に位置する公立校でどちらも地域の普通の小学校といった感じ。特別進学校とかではないですよ。

野球との出会いは小学2年生

小学2年生から野球をはじめた関口メンディーさん。

最初はファーストを守っていて、高学年になるとサードと投手を兼任するように。体が大きくて球が速かった、というのは本人も認めているエピソードです。

そして小学6年生の時に少年野球の全国大会で準優勝

…これ、すごくないですか。

全国準優勝って同学年の何万人もいる野球少年たちの中でトップクラスということで、才能があったのは間違いなさそう。

「プロ野球選手になりたい」という夢を持つのも当然の流れだと思います。

中学校時代

品川区立鈴ヶ森中学校

中学校は品川区立鈴ヶ森中学校に進学したとされています。

公式には明言されていないですが、複数の情報源で同じ校名が挙がっているので信ぴょう性はそれなりにあると見ています。

品川区立鈴ヶ森中学校は、東京都品川区南大井に位置する公立中学校。

住宅街の中にある規模感としては普通サイズの学校です。

特別な野球強豪校というわけではなく、地域の普通の公立中学といった位置づけ。

だからこそ、次に紹介する「学校外の野球チーム」を選んだのかなと自分の見立てではそう思っています。

地域の硬式チーム「大田水門ボーイズ」で鍛える

中学では学校の野球部ではなく地域の硬式野球チーム「大田水門ボーイズ」に所属しました。

これってちょっとこだわりを感じるんですよね。

普通なら学校の部活に入るのが一番手軽なのに、わざわざ外部の硬式チームを選んでいる。プロを本気で目指していたから、レベルの高い環境にこだわったんだろうなあと。

自転車で片道40分かけて練習に通い、自宅近くの公園でも素振りを続けていたという話もあります。

それだけじゃなく、練習のない日でも自主練を欠かさなかったらしく、野球への熱量は相当なもの。

それに、ちょっと面白いエピソードがあって。

後にプロ野球・福岡ソフトバンクホークスで活躍した石川柊太投手が、1学年下に在籍していたらしいんですよ。

石川投手といえばソフトバンクのエース格を長く担った投手。

同じ中学にそんな未来のプロ選手がいたとは……なんか縁を感じますね。

高校時代

郁文館高校ってどんな学校?

高校は郁文館高校(東京都文京区本駒込)に進学。1889年に開校した、かなり歴史のある私立高校です。

文京区という立地もあって、学習環境としては悪くない場所に位置しています。偏差値は54前後。進学実績もそれなりにある、バランス型の私立高校という印象。

メンディーさんが在学していた当時は男子校で2010年以降は共学になっています

著名な卒業生としてものまねタレントの栗田貫一さんがいるのもちょっと面白いポイントですね。

入学のきっかけはスポーツ推薦だけど少し複雑な事情

入学の経緯は野球のスポーツ推薦です。

でも、本人が語っているのはちょっと複雑な話で、「野球の強豪校に行きたかったけど自分の実力が届かなかった。スポーツクラスを作るから来ないかと誘われて入った」というもの。

うーんこれ、案外センシティブな話だと思っていて。

全国準優勝まで経験した野球少年が、高校では強豪校に届かなかった。そのギャップはけっこう大きかったんじゃないかなと個人的には感じます。

とはいえ、声をかけてもらえたこと自体は前向きに捉えていたのかもしれません。

4番打者、でも甲子園は届かなかった

高校でも野球部に所属し、2年生からレギュラーを獲得。

ポジションはサードで、打撃が評価されて4番などの主軸を任されるようになりました。思った以上に主力として活躍していたんですね。

高校2年生のとき、ケガをしたのを機に「うねり打法」という打撃理論の本に出会います。

体の連動や使い方を理論的に学んだこの経験が、のちにダンスを習得するときの感覚に直接つながったと本人は語っていて。

野球がダンスの土台になっていたというのは自分でも驚きのエピソードだったみたいです。

ただ甲子園の夢は叶わず。

最後の夏の都大会で3安打を放ったものの、チームは初戦敗退という結果に終わりました。

お笑いコンビも組んでた

野球一筋、かと思いきや実はクラスメイトと「関口田口」というお笑いコンビを組んで、文化祭のお笑いコンテストで2位に入賞していたとのこと。

…これはちょっと本当に気になっている話。

だって、当時から人を楽しませることに積極的だったということじゃないですか。

芸能人になる素質、高校時代から片鱗があったのかも。

大学時代

日本体育大学に一般入試で進学

高校卒業後は日本体育大学(東京都世田谷区)の体育学部体育学科に進学。

日体大といえばスポーツ界での知名度は抜群。体育の世界では超有名校で、オリンピック選手なども多数輩出しています。

偏差値は48前後でスポーツ系の大学としては標準的なレベル感。キャンパスは東京・世田谷と神奈川・横浜の2か所があります。

実は入学前に野球推薦の話があったんですが、これが流れてしまいました。

本人は「これしか残るものがないと思っていた野球の実力が、大学側に評価されなかった時はかなりショックだった」と語っています。

そのショックを経て、大学への入学は一般入試に切り替え。目標は体育の教師になることでした。

ダンスとの出会い きっかけが正直すぎる😂

入学後、どのサークルにするか探していたメンディーさんにダンスサークルの先輩が「ハーフだからダンスやったほうがいいよ」と声をかけてきて。

本人の入部の動機は「モテようと思って」。

この正直さが好きです。

所属したのは「Cypher Heads Fam」というヒップホップ同好会。

初回の練習では見た目から「絶対うまいんでしょ」と周囲に期待されたものの、全く踊れなくて周囲をずっこけさせたというエピソードが残っています。

ところが、そこからの成長スピードがすさまじかったみたいで。

高校時代に「うねり打法」で培った体の使い方への感覚が、ダンスの習得に直接役立ったと本人は語っています。

野球とダンス、全然別物に見えて実は体幹の使い方や重心移動という部分で共通するものがあるのかもしれません。これは個人的にかなり面白い発見でした。

2009年4月14日にmixiで、「Cypher Heads Fam」のコミュニティにて自己紹介を投稿していることが確認できました。

町田啓太との友情と、EXPGオーディション合格

大学の同級生には後に俳優として大活躍する町田啓太さんが在籍していました。

当時は週5日で町田さんの家に通うほど仲が良かったというのは、なんか微笑ましいエピソードですよね。

町田啓太さんも現在は超売れっ子俳優なのでこの時代の二人がどんなふうに過ごしていたのか気になります。

先輩に勧められてEXPGのオーディションに挑戦し、合格。

2012年4月、大学3年生のときにGENERATIONSの正式メンバーとして選ばれ、芸能活動が本格化していきます。

ちなみに大学在学中のハンドボール投げで、球が体育館の壁に当たって「測定不能」に近い数値を叩き出したという話も後のバラエティ番組で明かされています。野球で鍛えた身体能力は大学でも健在だったみたいです。

結局、中退

芸能活動が多忙になるにつれて大学に通える時間がなくなり、最終的に日本体育大学を中退

体育の教師という夢は手放すことになりましたが、その代わりにGENERATIONSのメンバーとしての道が開けた。

まあ、結果論にはなってしまいますけど、今のメンディーさんを見ていると「これで良かったんだな」と素直に思えます。

まとめ

  • 小学2年生から野球をはじめ、小学6年生で全国大会準優勝という輝かしいキャリアをスタート
  • 中学では地域の硬式チーム「大田水門ボーイズ」に所属し、本格的に実力を磨いた
  • 高校は郁文館高校(偏差値54・私立)にスポーツ推薦で進学、4番打者として活躍するも甲子園には届かず
  • 大学は日本体育大学体育学部体育学科に一般入試で進学、体育教師を目指していた
  • 大学入学後にダンスサークルと出会い、野球で培った体の感覚を活かして急成長
  • 大学3年生でGENERATIONSメンバーに選ばれ、その後中退して芸能界へ

野球少年がダンサーになった、という流れだけ聞くとガラリと方向転換したように見えますよね。

でも実際は野球で積み上げた体の使い方や努力の積み重ね方が、そのままダンスの才能に直結していた。

そう考えると、学生時代の全部が無駄じゃなかったんだなと感じます。

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