この記事を読めば俳優・村上虹郎さんの小学校からカナダ留学・高校中退に至るまでの学歴が、エピソードつきで丸ごとわかります。
「どんな学校に通っていたの?」
「なぜ高校を中退したの?」
と疑問を持っている方は多いんじゃないかなと思って、メディアのインタビューや信頼性の高い情報源をもとに調べてまとめました。
学歴コンプレックスがあると本人が語っていたことも含め、かなり深く掘り下げています。
村上虹郎の学歴一覧
まず全体像をざっくり整理。
| 時期 | 学校名 | 備考 |
|---|---|---|
| 2003〜2009年 | シュタイナー学園初等部(神奈川県相模原市) | 小学1〜6年 |
| 2009〜2011年 | シュタイナー学園中等部(神奈川県相模原市) | 中学1〜2年 |
| 2011〜2012年 | 沖縄県内の中学校(校名非公開) | 中学2〜3年、転校 |
| 2012〜2013年頃 | カナダ・モントリオールの高校(校名非公開) | 高校1〜2年で中退 |
| 大学以降 | 進学なし | 俳優業に専念 |
小学校時代 テストも偏差値も存在しない学校で育った
村上虹郎さんの小学校時代は一般的なそれとはまったく異なる環境の話になります。正直、最初に知ったとき「え、こんな学校あるの?」って素直に驚きました。
シュタイナー学園初等部ってどんな学校?
村上虹郎さんが入学したのは2003年、神奈川県相模原市緑区に位置する「シュタイナー学園初等部」です。
この学校、何がすごいってテストも偏差値もないんです。ふつうの小学校とは根本的に考え方が違うんですよね。
オーストリアの哲学者・ルドルフ・シュタイナーが提唱した「自由への教育」という思想が根底にあって、子どもの感性や創造性を大切にする独自の教育が行われています。
授業は「エポック教育」という方式が採用されていてたとえば国語の学習期間中は国語だけをみっちり集中してやる、という形式。他の科目は一切やりません。
それだけじゃなく、演劇や手仕事、音楽や農作業など、身体を動かしたり感じたりする体験型の学びを重視しているのも特徴です。
木造の温かみのある校舎、アトリエ、農園まである環境でデジタル機器よりも五感を使うことを大切にした空間設計になっているそうで。
なんか、普通の学校とはぜんぜん違う感じがして個人的にはすごく気になる学校です。
剣道同好会の見学を4回も繰り返した慎重な小学生
インタビューでこんなエピソードを語っています。
通っていた小学校はNPO法人で部活がなく、3年生のとき地元の小学校にある剣道同好会の見学へ行ったけれど、決めるまでに4回も見学したと。
「自分がこれをやって楽しいか、意味があるかとか、小学生なのにそこまで考えたのかはわからないけど、やっていけるか確認していたんですね」
と本人も振り返っています。
普通、多くて2回ですよね(笑)。
でもこれ、単純に慎重な子どもというより、自分の感覚にすごく正直な人だったんじゃないかなと感じていて。その気質がのちの俳優業にもつながっている気がします。
ちなみに小学校時代は野球もやっていたそうです。

両親の多忙と「幼少期は二人を親と認めていなかった」
実は虹郎さん、幼少期から複雑な家庭環境を抱えていました。
父・村上淳さんも、母・UAさんも、ともに多忙な表現者。
当時のことをインタビューでこう語っています。
「幼少期は二人を親としては認めていませんでした。魂を削って表現している二人はやっぱり忙しくて、僕はおばあちゃんに育てられた」
と。
それなのに「のちに別々のタイミングで、二人に謝られました」とも話していて。その率直さがなんか胸に刺さります。
小学2年生のとき両親は離婚していますが、「それからのほうが親父との思い出は多い」という言葉も印象的でした。

中学校時代 転校と東日本大震災が重なった時期
中学時代は人生が大きく動き始める時期でした。
シュタイナー学園中等部という選択
2009年、小学校からそのまま内部進学する形でシュタイナー学園中等部へ進みます。
引き続きテストも偏差値もない環境。芸術活動や自然体験を軸にした学びの続きです。
部活動の制度もなく、学年を横断したプロジェクトや創作活動が中心という独特のスタイルも変わらず。
競争よりも「自分が何に興味を持てるか」を大切にするこの環境が、のちの感性のベースになっているのかもしれないと思います。あくまで個人的な考えですが。
俳優の斎藤工さんも小学校5年生まで系列校に在籍していたといわれていて、この学校からクリエイティブな職業に進む人が出やすいのはなんとなく納得できます。
2011年、東日本大震災と家の全焼が重なった
ここからがちょっと壮絶な話で。
2010年9月に自宅が火事で全焼。そして2011年3月には東日本大震災が発生します。
この二つが重なったことで、母親のUAさんが沖縄への移住を決断。虹郎さんも中学2年の途中から、沖縄の中学校へ転校することになりました。
シュタイナー学園から一般的な学校環境への転校、しかも土地ごと変わるというのは、思春期の子どもにとってかなり大きな出来事だったはず。
その適応力というか環境の変化に流されながらも自分を保つ感覚みたいなものが、虹郎さんには自然と育まれていたのかなという気もします。
沖縄の中学校 学校名は非公開
転校先の沖縄の中学校は校名が一切公表されていません。
なので正確なことはわからないのですが、ここでもうひとつ。
虹郎さんが関西弁のようなしゃべり方をするのはよく知られていますが、これはUAさんの出身地が大阪なのと、沖縄育ちの影響が混ざり合ったものだと言われています。
確かに、どこでもない独特のイントネーションですよね。
高校時代 カナダ・モントリオール留学と中退の真相
ここが虹郎さんの人生でもっともダイナミックに動いた時期です。
なぜカナダだったのか
中学卒業後の2012年、村上虹郎さんはカナダのモントリオールにある高校へ入学しています。
本人のインタビューによると、当初の留学の目的は「音楽をやりたかったから」。
ただ、父・村上淳さんはテレビのインタビューで少し違う見方をしていて、「カナダに留学したのも親の強制」とも話しています。
ちょっとここ、どっちが本当なのかよくわからなくて(笑)。
おそらく「音楽への憧れもあったし、環境を変えたい気持ちもあったし、流れで決まった部分もあった」という複合的な理由だったのかなと自分では解釈しています。
高校ではバスケットボールや乗馬に取り組み、英語力も磨いていたとのこと。
そこそこ充実した学校生活に見えますが…父・淳さんのインタビューによると実は違ったようで。
「毎日スカイプしていたくらい、この子いつ学校行ってるんだろうって思ってたら、案の定行ってなくて。元奥さんから電話がかかってきて、学校に行ってなくて退学になるって」
と語っています。
え、そういう感じだったの。

河瀬直美監督との出会いが人生を変えた
学校に行けていなかったそのタイミングで映画監督・河瀬直美さんから俳優のオファーが届きます。
父・村上淳さんが出演予定だった映画「2つ目の窓」の主演に息子の虹郎さんを薦めたことがきっかけでした。
最初のリアクションは「え?僕が!?」だったそうです(笑)。
当初はピンとこなかったそうですが、河瀬監督と話し、脚本を読むうちに「映画ってどうやって作るんだろう」という純粋な好奇心が芽生えていったと語っています。
ここ、個人的にすごく印象深かったんですが。
「監督って何をするんだろう」という入口が、俳優業への動機だったというのは、なんとも虹郎さんらしい感じがしませんか。
演じること自体への欲求より映画という世界そのものへの好奇心が先に来たっていうのが。
「人生で初めて自分で決めた大きな決断」
母親は強く反対したそうです。芸能界の過酷さを身をもって知っているUAさんにとっては、当然だったかもしれません。
でも虹郎さんはこう語っています。
「これまでの反抗期とは違って冷静に考えたうえで、自分で心からやりたいと思ったんです。人生で初めて自分で決めた大きな決断でした」
と。
この言葉、けっこうずっしりきます。
シュタイナー学園への入学も沖縄転校も、カナダ留学も、「親の選択に乗ってきた」自分が、初めてここで自分で決めた。そういう意味で読むとこの台詞の重さが全然違って感じられます。
高校は約1年で中退。大学への進学もなく、帰国後すぐに「2つ目の窓」の撮影に入ります。
大学進学なし そして学歴コンプレックスという告白
高校中退のまま俳優業に専念した虹郎さんですがそれをただの武勇伝として語っていないのが印象的です。
「ドロップアウトしているので学歴コンプレックスがある」
本人がインタビューでこう話しています。
「ドロップアウトしているため、学歴コンプレックスがある」
と。
天才肌に見える人がこういうことを正直に言えるのって、なんかいいなと思うんです。華々しいデビュー経歴があっても、「普通の道を歩まなかった」ことに対して揺れる気持ちが残っている。
それって誠実だなって感じます。
大学は進学せず俳優業だけで今の地位を築いてきた
2022年には第45回日本アカデミー賞優秀助演男優賞を受賞するなど、学歴では測れない結果をすでに出していますが、それでも感じる揺らぎというのは、学歴コンプレックスを持っている人に少し勇気を与えてくれる話かもしれません。

シュタイナー教育が育てたもの
少し深掘りして考えてみたいこと。
「競争に勝つ」より「自分が何に興味があるか」
小学1年から中学2年まで、約8年間をシュタイナー学園で過ごした村上虹郎さん。
テストなし、偏差値なし、成績評価なし。
「ほかの誰かより上に行く」という発想ではなく、「自分はどこに興味があるか」を探り続ける学校生活でした。
これが俳優としての感性にどう作用したか、正直なところは本人にしかわかりません。
ただ、自分の感覚に従って映画の世界に飛び込んだあの決断や、「剣道同好会の見学を4回した」という小学生時代のエピソードを重ね合わせると、他者の評価軸ではなく自分の内側の声を大切にする気質は早い段階から形成されていたのかなと思います。
同じシュタイナー学園に縁のある斎藤工さんも独特のキャリアを歩んできた俳優ですよね。
完全に私の見立てですが、この教育環境が「他と違う感性を持つ表現者」を育てやすい土壌になっているのかもしれません。
まとめ
- 小学校と中学校前半は神奈川県相模原市のシュタイナー学園へ。テストも偏差値もない特殊な教育環境で感性を磨いた
- 自宅全焼と東日本大震災をきっかけに母親が沖縄へ移住。中学2〜3年は沖縄の中学校へ転校(校名非公開)
- 中学卒業後はカナダ・モントリオールの高校へ留学。音楽への興味やカナダ移住という流れで留学したが、実際にはあまり学校に行けていなかったと父・淳さんが証言
- 河瀬直美監督からの映画「2つ目の窓」への主演オファーをきっかけに「人生で初めて自分で決めた大きな決断」として高校を中退。大学進学もなし
- デビュー作で高崎映画祭・最優秀新人男優賞を受賞。2022年には日本アカデミー賞優秀助演男優賞も受賞している
- 「学歴コンプレックスがある」と本人がインタビューで語っており、その誠実さも彼の魅力のひとつ
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