井上咲楽の通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めばタレントの井上咲楽さんが通っていた小学校、中学校、高校、そして大学受験のエピソードまで、時系列で全部わかります。

「高校時代にいじめにあっていた」
「慶應を受けて落ちた」

というのはわりと有名な話だと思うんですがそれだけじゃなく、各学校でどんな生活を送っていたか、どんな場所でどんな子どもだったか、インタビューやエッセイをもとにしっかりまとめてみました。

目次

井上咲楽のプロフィール

まず基本情報から。

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項目内容
本名井上咲樂(いのうえさくら)
生年月日1999年10月2日
年齢26歳
出身地栃木県芳賀郡益子町
血液型A型
所属事務所ホリプロ
最終学歴栃木県立茂木高等学校卒業

4人姉妹の長女で、お父さんが山を切り拓いて建てた家で育ちました。

「栃木県の山奥」と聞いてどのくらい想像できるかわかりませんが、近くにスーパーもコンビニも駅もない、本当にぽつんとした場所です。

クーラーもなく、お風呂は薪で焚いていたとテレビ番組でも紹介されていました。

小学校時代

出身小学校は益子町立田野小学校です。

益子町立田野小学校はどんな学校?

学校名:益子町立田野小学校
所在地:栃木県芳賀郡益子町長堤400
設立:1874年(明治7年)

創立150年を超える歴史ある小学校です。

益子町の山間エリアに位置していて、制服はなく給食あり。実家からは片道2キロの山道を毎日歩いて通っていたといいます。

内気で本の虫だった子ども時代

井上さんが小学校に入学したのは2006年ごろ。入学してすぐ益子町に引っ越してきたそうで、当初は「便利な家のほうがいいのに」と思っていたと語っています。

休み時間は外で遊ぶより図書室にこもって読書するタイプ。

友達も少なかったみたいで、当時の様子を本人は「内気で人見知りだった」と振り返っています。

ただ、性格的には負けん気が強くて頑固な面もあり、クラスの男の子と取っ組み合いのけんかをするほどだったようです。空手道場にも通っていたそうで、案外パワフルな一面もあったみたいですね。

実はこの頃のエピソードで個人的にすごく気になるのが、修学旅行に行かなかったという話。

2024年のイベントで「学校の目の前まで行ったんですけど、そのまま帰った」と告白しているんです。

理由まで詳しくは語られていないんですが、内気な性格と関係があるのかなと。うーん、わりと大事な話を2行で済ませてしまうんですが、ここがけっこう気になってしまって。

おねしょを「計画的にしていた」という話もエッセイ本で明かされていて、理由は「実家のトイレが暗くて怖かったから」だそうです。

山の中の一軒家のトイレって、確かに夜は怖そう…というか、むしろその感覚がリアルすぎて笑ってしまいました。

中学校時代

出身中学校は益子町立田野中学校です。

益子町立田野中学校はどんな学校?

学校名:益子町立田野中学校
所在地:栃木県芳賀郡益子町長堤402

小学校と同じく、益子町の田野エリアにある地元の公立中学校です。

最寄り駅(北山駅)から徒歩で40分以上かかる場所にあって、いかに山の中にある学校かがわかります。

田野小学校から田野中学校へ、同じエリアの学校に進学した形ですね。

地方の小規模校でクラス数もそう多くはなさそうです。

公式情報での詳細な生徒数などは現時点では確認できなかったんですが、益子町全体の規模感からすると、1学年1〜2クラス程度だったのではないかと考えています。

バレー部との出会いと芸人への夢

中学校での一番大きな転機はバレーボール部への入部です。

同じクラスの子に誘われたのがきっかけで、「誘ってくれたことが嬉しくて入った」と語っています。

最初は部員の明るさや声の大きさに馴染めなかったそうですが、土日も含めて毎日一緒に過ごすうちに少しずつ協調性が身についていきました。

それに、応援副団長や3年間連続の学級委員も務めていたそうで、小学校時代の人見知りっぷりが嘘みたいな変わりようです。

お笑い芸人になりたかった

ちなみに、中学時代の意外な夢って知っていますか?なんと「吉本に入ってお笑い芸人になりたい」だったんです。

2021年に出演したテレビ東京の番組で本人が明かしていて、学園祭でコンビを組んでネタを披露したこともあったとか。

当時書いた文集にも「夢はお笑い芸人」と書いていたそうです。担任の先生まで「目指してみてもいいんじゃないか、と言った」と振り返っているのも面白いですよね。

今のバラエティでの安定したトーク力って、もしかしたらこの頃の「笑かしたい」という気持ちが根っこにあるのかもと個人的には思っています。

2016年3月31日にも「中学の途中まではお笑い芸人になりたいと思ってた」とツイートしていました。

高校時代

出身高校は栃木県立茂木高等学校です。

栃木県立茂木高等学校はどんな学校?

学校名:栃木県立茂木高等学校(通称:茂木高校)
所在地:栃木県芳賀郡茂木町茂木288
偏差値:48〜49(2024年データ)
学科:総合学科

茂木高校は芳賀郡市で唯一の総合学科の高校です。

総合学科というのは普通科や工業・商業といった分類と違って、生徒が自分の興味や進路に合わせて科目を選べる仕組みのこと。

「ゆずも学」という名称で地域資源を活かしたキャリア教育にも力を入れていて、進学から就職まで幅広く対応している学校です。

緑豊かな山々に囲まれた落ち着いた環境にある公立高校で、部活動はバレーボール、バスケット、テニス、茶道部、筝曲部など多種多様に揃っています。

偏差値は48〜49と栃木県内でいうと中程度の学校です。

高校1年で芸能デビューした経緯

2015年、高校入学と同じ年に第40回ホリプロタレントスカウトキャラバンで「ソフトバンク賞(#kawaii特別賞)」を受賞してデビューします。

このオーディション、もともと自分から応募したわけじゃなかったそうで。

当時アルバイトをしていた和食店の店主が締切最終日に「まだ送ってないなら送ってみなよ」と背中を押してくれたのがきっかけだったとのこと。

決選大会では一人漫才やMr.ビーンのものまねを披露して審査員特別賞を獲得。…うん、お笑い芸人志望だった中学時代がここで生きているのかも。

いじめと不登校、高校時代の暗い現実

芸能デビューした直後の夏休み明けの登校から、現実は厳しいものだったようです。

先輩から廊下ですれ違いざまに「ブス」「何であんな顔で」と言われることが続いて、学校に行けない時期が生まれていきました。

学園祭で他校の生徒と写真を撮ったそのその場で陰口を言われる経験もあり、どんどん心が閉じていったといいます。

欠席が増えると先生や友達が心配して声をかけてくれたけれど、その優しさを受け入れる余裕すらなかったと本人が語っています。

この表現がすごく刺さって。心が疲弊しているとき、人の優しさが逆に重く感じられることってあるんですよね。そういうリアルな感覚が、短い一文に詰まっているなと感じます。

初のエッセイ本『じんせい手帖』(徳間書店、2024年11月)でも「学校にあまり通っていなかったり、ひねくれていた時期があった」と振り返っていて、当時を「思い出したくない過去」と表現しています。

卒業式に行けなかった日とサプライズの話

高校3年生の卒業式は仕事と重なって出席できませんでした。

「高校に行けないほど忙しくなるつもりでいたけど、現実は…」というインタビュータイトルが印象的だったんですが、実際はそこまで仕事が忙しかったわけではなく、むしろ孤立や不登校との葛藤が大きかったようです。

ところが、春休みに補習で登校した日、クラスメートがサプライズで卒業式を開いてくれたんです。

教室の黒板に卒業メッセージ、花束も用意されていて。

「クラスのみんなから嫌われていると思い込んでいた」と話していた井上さんにとって、この体験は相当大きなものだったはず。

2018年3月22日にTwitter(X)にて一人の卒業式に集まってくれたみんなとの写真を投稿していました。

この出来事を「最後の最後に、そういうことだったんだと気づけた」という趣旨で語っています。

しんどい3年間だったけれど、その最後にあたたかいものが待っていたというのがなんか救いだなと感じました。

大学受験 慶應SFCへの挑戦

なぜ慶應を選んだのか

高校卒業後、井上さんは大学に進学していません。ただ、高校在学中に一度だけ大学受験に挑戦しています。

受験を決めたのは高3の秋というかなりギリギリのタイミング。

動機が正直すぎて逆に好きなんですが、

テレビに出ている人は頭がいい人が多い。大学に行ったら、スタジオでうまく話せるようになるかもしれない

という考えからだったそうです。

問題は英語が苦手だということ。

そのため、英語を使わずに受験できる学校を探した結果、たどり着いたのが慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)でした。

当時のSFCは小論文と面接で合否を判定する方式だったので、スカウトキャラバンの狭き門を通ってきた自分なら行けるかも、と感じたとのこと。

小論文のテーマ、実は悪くなかった

塾に通い、小論文の対策を進めた井上さん。

選んだテーマは「地方創生」。

移動式直売所を作って各地域の魅力をアピールするというアイデアを書いたそうで、エッセイでは「準備期間が短い中で、それなりにまとめられたと思った」と述べています。

実際のところ、テーマ選びはけっこう筋が通っていると感じます。

自分が栃木の山奥出身であることや、地方の暮らしを肌で知っているからこそ書けるネタではあって。

ただ、高3の秋から始めた付け焼き刃の準備で慶應SFCを攻略するのはそれなりに厳しかっただろうなというのが率直な感想です。

試験会場に写真を貼って落ちた話

結果は不合格

このこと自体は有名な話なんですが、2018年2月放送の「ワイドナショー」(フジテレビ)で本人が「自由記述欄に、自分がワイドナショーに出演しているときの写真を貼ってアピールした」と語り、それでも落ちたことを明かしました。

スタジオが笑いに包まれたのはいうまでもなく記事として取り上げられています。

自分で言っちゃうのがすごいというか。そのあっけらかんとした感じが井上咲楽さんらしいなとも思いました。

不合格後は再受験せず、そのまま芸能活動に専念する道を選んでいます。

自身のエッセイでは「今では完全な黒歴史だ」とばっさり書いていて引きずっていないのが清々しいですね。

学歴まとめ

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学校名在学期間ポイント
益子町立田野小学校2006年4月〜2012年3月内気で人見知り、図書室派、空手道場にも通う
益子町立田野中学校2012年4月〜2015年3月バレー部、学級委員3年連続、芸人志望の時期も
栃木県立茂木高等学校2015年4月〜2018年3月総合学科、偏差値48〜49、高1でデビュー、いじめ・不登校経験
慶應義塾大学SFC2018年受験AO的な小論文・面接方式で受験→不合格。大学進学せず

記事のまとめ

  • 出身小学校は益子町立田野小学校で近くにコンビニも駅もない山奥の学校
  • 出身中学校は益子町立田野中学校でバレー部に入りながら「お笑い芸人になりたい」という夢を持っていた
  • 出身高校は栃木県立茂木高等学校(総合学科・偏差値48〜49)で、芸能デビューと同時期にいじめ・不登校を経験
  • 高3の秋に慶應義塾大学SFCを受験したが不合格でその後は大学に進学していない
  • 最終学歴は高校卒業だが政治・料理・選挙活動への関心など独自の自己研鑽を続けている

2024年に出版した初エッセイ『じんせい手帖』(徳間書店)では、学生時代の記憶が本人の言葉でていねいに綴られています。

高校時代の苦しかった経験を笑って話せるようになった今の井上咲楽さんはそういう全部を経てここにいるんだな、と改めて感じました。

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