この記事を読めば村上虹郎(むらかみにじろう)さんの父・村上淳さんと母・UAさんのこと、そしてちょっと複雑な家族の事情までひとつながりで理解できると思います。
「名前はよく聞くけど、実際どんな家庭で育ったんだろう」
「両親が有名人だからって、別に苦労とかないんじゃないの?」
と思っているあなた、実は虹郎さんの育ちはかなりドラマチックで調べれば調べるほど引き込まれていきました。
ただの「芸能二世の紹介記事」では収まらない話が山ほど出てきたので、ぜひ最後まで読んでみてください。
村上虹郎のプロフィール
まず基本情報から整理しておきますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 村上虹郎(むらかみにじろう) |
| 生年月日 | 1997年3月17日 |
| 年齢 | 29歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 職業 | 俳優 |
| 所属事務所 | ディケイド |
| 父親 | 村上淳(俳優) |
| 母親 | UA(歌手) |
| 俳優デビュー | 2014年・映画「2つ目の窓」 |
| 受賞歴 | 第29回高崎映画祭最優秀新人男優賞、第45回日本アカデミー賞優秀助演男優賞など |
個人的にはここまで独特な経歴を持つ俳優さんって、なかなかいないよなーと感じています。
村上虹郎の父・村上淳とは
俳優・村上淳のプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 村上淳(むらかみじゅん) |
| 生年月日 | 1973年7月23日 |
| 年齢 | 52歳 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 176cm |
| 職業 | 俳優、モデル |
| 所属事務所 | ディケイド |
父・村上淳さんは、もともとモデルとして芸能界に入った人で、「MEN’S NON-NO」や「FINEBOYS」といったファッション誌の表紙を飾っていたそうです。
端正な顔立ちで当時からかなりの人気があったみたいですね。その後俳優に転向し、1992年のテレビドラマ「アルファベット2/3」でデビュー。2000年には第22回ヨコハマ映画祭で助演男優賞も受賞しています。
息子をデビューさせたのは父だった
ちょっとこれ、すごく印象的なエピソードだったんですが。
河瀬直美監督が映画「2つ目の窓」(2014年)を企画する際に、「離婚して母と息子が島に移り住み、東京に父親がいる家族を描きたい」と村上淳さんに声をかけたそうで。
脚本を読んだ淳さんが「これは虹郎しかいない」と確信し、息子に出演を打診したのがデビューのきっかけだったんです。
「芸能界デビューはお父さんの影響で?」と聞かれた虹郎さんは、「ありますね、それだけではないですけど」と答えていて、なんとも複雑な感情がにじみ出ている言葉だなと思いました。
父親が背中を押したのに、素直に「はい!」と言えない。そういう関係性だったんでしょうね。

月に一度だけ会いに行った父
両親は虹郎さんが9歳のときに離婚していて、離婚後は月に1回、虹郎さんが電車に乗って父親に会いに行くスタイルになったそうです。
面白いなと思うのは、一緒に暮らしていた幼少期よりも離れて暮らしてからのほうが「親父ってこういう人なんだな」と理解できるようになったと虹郎さん自身が語っているところです。
これ、なんかわかる気がするんですよね。
ずっと一緒にいる存在だと「お父さん」というキャラクターにしか見えないのに、距離ができて「会いに行く人」になってはじめて、その人間性が見えてくる。
虹郎さんの場合はそれが9歳以降だったわけで、ちょっと切ないような、でも結果的にはよかったのかもというような気持ちになります。
村上虹郎の母・UAとは
UA『NEWME 026』
— UA_official (@UA__KA) March 28, 2026
愛知:アマノ芸術創造センター名古屋
2026.3.27(金)
Guitar:西田修大
Bs:鈴木正人
Drums:大井一彌
Keyboards:小田朋美
Synthesizer:荒木正比呂
Chorus:神田智子
Chorus & violin:イガキアキコ
Hair & Make-up : 冨沢ノボル
Costume : FUMIE TANAKA
photo by 岩佐篤樹
#UA… pic.twitter.com/eqpnMBDZVM
歌手・UAのプロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 嶋歌織(しまかおり) |
| 生年月日 | 1972年3月11日 |
| 年齢 | 54歳 |
| 出身地 | 大阪府 |
| 職業 | 歌手、女優 |
| デビュー曲 | 「情熱」(1995年) |
| 代表曲 | 「情熱」「ミルクティー」「雲がちぎれる時」など |
| 現在の活動拠点 | カナダ(2014年頃から移住) |
UA(ウーア)さんは1996年のシングル「情熱」で一気にブレイクした歌手で、ソウルやジャズ、レゲエ、民族音楽まで幅広いジャンルを取り込むスタイルが特徴的な人です
。歌手だけじゃなく、NHK教育テレビの「ドレミノテレビ」で歌のお姉さんううあとして子どもたちに親しまれていたり、映画「大日本人」(2007年)に女優として出演したりと、表現の幅が本当に広い。
「母の愛が深すぎた」問題
個人的にここが一番気になっていたポイントなんですが。
虹郎さんって、母・UAさんのことを「愛が深すぎる」と語ることが多くて、それが思春期には逆にプレッシャーになっていたみたいなんですよね。
UAさんも勉強熱心で感受性がとても豊かな人として知られているので、その深い愛情がまだ自分を確立していない少年には重たく感じられたのかもしれません。あくまで私の考えなんですが。
高校生のとき、虹郎さんは「家を飛び出してカナダに留学した」と語っていて、その理由をPRESIDENT誌のインタビューでこう話しています。
「親から逃げて逃げて逃げ続けたダサい時期があって、居場所がなくなっていくんですよね。でも今振り返ると、親から逃げていたわけじゃなかったんです。本当は自分から逃げていたんです。弱かったから」
と。
これ、読んだときちょっと胸に刺さりました。

母親のデビューに「反対」された
虹郎さんのデビューに最初に反対したのは母・UAさんだったそうです。
「持続力ないよね、あなた精神的に」とズバッと言い放ったとのことで。
うん、これはかなりキツいひとことだよなって思うんですが、虹郎さんはその言葉に「図星だし悔しい」と感じながら、
「だから役者を絶対死ぬまで続けるんです」と答えたというエピソードがあります。
反対されたことが逆に俳優をやり続ける燃料になっている。
なんとも虹郎さんらしいというか、UAさんと虹郎さんの関係性が凝縮されているエピソードだと感じました。
音楽でつながった母と息子
2017年、日比谷野外音楽堂でのUAさんのライブで、虹郎さんがアンコールにギターで飛び入り参加するという出来事があったんです。
演奏した曲は「雲がちぎれる時」。
虹郎さんはその後のインタビューで
「母親と音楽の話で盛り上がることがある」
「好きな曲は母親とかぶります」
と話していて、ギクシャクしていた関係が、音楽を通してゆっくり解きほぐされていったんだろうなという気がします。
そして2026年3月、UAさんのデビュー30周年記念ツアーの千秋楽(大阪・NHK大阪ホール)で、虹郎さんがサプライズでステージに登場。
アルバムのリード曲「ZOMBIE feat.村上虹郎」と「雲がちぎれる時」を一緒に披露したそうです。
29年越しの親子共演というわけですね。その後UAさんはインスタグラムに2ショットを投稿し、《I love you like you are.》というメッセージを添えていたとのこと。
両親の出会いと離婚の経緯
結婚と離婚の時期
村上淳さんとUAさんは1996年に結婚し、翌1997年に虹郎さんが誕生しています。ともに大阪出身の芸能人同士、というのはなんとなく共通点を感じますよね。
離婚は2006年で、虹郎さんが9歳のとき。離婚の具体的な理由は公表されていません。
ただ、映画「2つ目の窓」の撮影中に河瀬監督が虹郎さんに「なぜお父さんはお母さんと別れたの?」と父親役の村上淳さんに問いかけるシーンを用意したとき、淳さんがアドリブで「一緒にいない方が、一緒にいる感じがするんだよ」と答えたというエピソードがあります。
これが実際の心境だったのか、それとも役者としての即興だったのか…正直なところは分からないんですが、なんとなく二人の関係性を象徴しているような言葉だなとは思いました。

離婚後のUAさんの再婚と現在
離婚後、UAさんは元モデルでマルチクリエイターの長谷川琵修(びしゅう)さんと再婚しています。そのご縁で虹郎さんには3人の異父弟妹がいて、4人兄弟の長男という立場になりました。
2014年頃からUAさんは家族でカナダに移住し、大自然の中で生活しているそうです。
ちなみに、UAさんのお腹にまだ虹郎さんがいた頃につくった楽曲「雲がちぎれる時」。
その曲を29年後に親子でステージで歌うことになるって、人生のドラマとしてちょっとできすぎている気がして、なんか。胸にくるものがあります。
奇数月金曜日の「FLAG RADIO」はUAがカナダの島からお送りします。
— UA_official (@UA__KA) January 23, 2026
来月2/18リリースニューアルバム『NEWME』をどこよりも早くUA自身が解説。
坂本龍一さんが手がけた大切な曲について。
今月のマンスリーゲストは新春恒例、
星読みで知られる #石井ゆかり さん。… pic.twitter.com/QmJ9oLpKO5
「両親を恨んだ」少年が俳優を選んだ理由
おばあちゃんに育てられた幼少期
虹郎さんは複数のインタビューで、「両親がともに多忙だったため、ほとんどおばあちゃんに育てられた」と語っています。
その結果として生まれたのが、「育ててくれてないっていう恨み」という感情で、そこから「芸能界が嫌い」という気持ちがかなり長い間続いていたみたいです。
これ、よく考えるとけっこう複雑な話で。
両親が嫌いなのではなく、芸能界という「親を連れ去るもの」が嫌いだったわけですよね。子どもなりの論理として、なんか納得できる気がします。
シュタイナー学園という異色の環境
個人的、調べていて一番「えっ」となったのがここでした。
虹郎さんは小学1年生から中学2年生まで8年間、相模原市にある「シュタイナー学園」に通っていたそうです。
このシュタイナー教育、「テレビも漫画もゲームもネットもSNSも禁止」という学校の規則があって、そのせいで同世代が観ていたドラマや音楽、タレントさんのことを全然知らない時期が長かったと語っています。
父は俳優、母は歌手。なのに、周りの芸能人を誰も知らない状態で育った。なんというか人生の設定としてけっこうユニークすぎませんか。
父の誘いと母の反対、その先に
16歳でのデビューを決めたとき、虹郎さんは留学先のカナダから帰国してオーディションを受けています。
前述の通り、母・UAさんには最初に反対されたわけですが、その言葉を「悔しい、図星だし」と受け止めながら俳優の道を選んだ。
PRESIDENT誌のインタビューでは
「この作品に出るか出ないかの決断は、16歳くらいの僕なりに大きな意味を持つということは考えていました」
と話していて、軽い気持ちで飛び込んだわけじゃなかったんだということが伝わってきます。
父と母との関係
父との共演と「共演NG」宣言
2014年の「2つ目の窓」、2018年の映画「銃」と、父・村上淳さんとは2回の親子共演を経験した虹郎さん。
「銃」での共演後のインタビューでは「すごい……と尊敬した」と話しているそうで、同業者として父親を見る目が変わっていったことが伝わります。
ただ、2022年のテレビ番組「ボクらの時代」では村上淳さんが「息子から共演NGを告げられている」と明かしています。
現場で「息子の顔」になってしまう自分をコントロールできないから、というのが理由だそうで。
これ、どっちの気持ちも想像するとちょっとおもしろいんですよね。
父親としては息子がかわいくて仕方ない。でも息子は俳優として対等に見られたい。その両方が正直に出ている関係性だと思います。
不仲とかではなく、むしろお互いをちゃんと「俳優」として尊重しているからこそのNGなのかもしれません。あくまで私の見立てですが。
母・UAとの「29年越し」の再会
2026年3月のUAさんデビュー30周年ツアーの千秋楽で虹郎さんがサプライズで登場し親子共演を果たしたことは先ほど触れましたが、このときの観客の反応も含めて、本当に感動的なシーンだったようです。
「いい意味で親子に見えない」
という声がSNSで広がったというのも印象的でした。
29歳になった息子が、母がお腹に自分を宿しながら作った曲をステージで一緒に歌う。
客観的に文字にすると「すごいシーン」なんですが個人的にはそれよりも、ずっとギクシャクしていた二人の関係がここまで来たんだという時間の流れに、じわじわくるものがありました。
まとめ
- 村上虹郎さんの父は俳優・村上淳、母は歌手・UAでともに大阪出身の芸能人カップル
- 両親が多忙だったため幼少期はほとんど祖母に育てられ、「育ててくれてない」という恨みから芸能界に嫌悪感を持つようになった
- 両親が離婚したのは虹郎さんが9歳のとき(2006年)。以降、月に1回父に会いに行く生活を通じて親子関係を再構築していった
- 母・UAさんは離婚後に再婚し3人の子どもをもうけており、虹郎さんは4人兄弟の長男
- 俳優デビューのきっかけは父・村上淳の勧め。母には最初に反対されたが、その言葉が逆に俳優を続ける原動力になった
- 2017年以降、母・UAとは音楽を通じて関係が変化し、2026年3月のツアー千秋楽ではサプライズでの親子共演が実現
- 小学1年から中学2年まで通ったシュタイナー学園は「テレビや漫画・ゲーム禁止」という独特の環境で、父も母も芸能人なのに芸能界をほぼ知らないまま育った
コメント