この記事を読めば「アジアの壁」こと井原正巳(いはらまさみ)の学歴を小学校から大学まで全部把握できます。
調べてみると、意外な事実がたくさん出てきて個人的にはかなりびっくりしました。
あのDFの名手が、高校まではずっとフォワードだったなんて知っていましたか?
守備の人というイメージが強すぎたので、正直ちょっとした衝撃でした。
ここでは各学校の特色も交えながら学生時代を丁寧に追っていきます。
小学校時代 貴生川小学校でサッカーの原点を作った
甲賀市立貴生川小学校ってどんな学校?
井原正巳が通ったのは現在の名称でいうと甲賀市立貴生川小学校。旧称は水口町立貴生川小学校で、2004年に周辺5町が合併して甲賀市になったことで名前が変わっています。
滋賀県南部の甲賀エリアにあるのどかな学校で地域に根ざした教育を続けています。
この地域はもともとサッカーが盛んで、生川小学校の校区には貴生川サッカースポーツ少年団が存在し、今も甲賀市立貴生川小学校を拠点に活動を続けている歴史あるチームです。
なんか、こういう地域に根付いたサッカー文化って、名選手を育てる土壌として大事なんだなと改めて感じます。
本来は4年生から入れるはずの少年団に3年生で特例入団
ここが最初のびっくりポイント。
通常、少年団への入団は小学4年生からが規定だったのに、井原は小学3年生で特別に認められて入団しています。
理由はシンプルで上の兄がすでに少年団に入っていたこと。
兄についていくうちに自分もボールを蹴るようになって、気づいたら練習に通い詰めていたみたいですね。
本人がつくばウェイのインタビューで語っているんですが、「ゴールを決めた時の快感のとりこになった」と。
この頃からすでにガツガツとした競争心があったらしく、校内マラソン大会は1年生から6年生まで毎年1位という話もスポニチの連載で出てきました。
これはちょっと本当に気になる話でサッカーだけじゃなくて身体能力全般が別次元だったということですよね。

フォワードとして全国大会に出場した小学生時代
当時のポジションはフォワード。
5年生の頃には全国少年サッカー大会にも出場していたという記録が残っていて、地元・滋賀県での実力は早くから突出していたようです。
小学校時代から全国レベルのピッチを踏んでいるって改めて考えるとすごい経歴ですよね。
この頃の経験が後の代表キャプテンへの長い道のりの起点になっているわけで。
中学校時代 水口中学校で「ワンマンFW」と呼ばれた時代
甲賀市立水口中学校での3年間
1980年4月、水口町立水口中学校(現:甲賀市立水口中学校)に進学しました。
ちなみに、長兄が進んだのは別の貴生川中学校だったそうでそのあたりの進路の経緯は少し気になるところでもあります。
まあ、この辺は当時の学区の仕組みの問題かもしれないですね。
中学でもポジションはフォワード。
しかも「ワンマンFW」と称されるほどゴールを量産する選手だったみたいです。
滋賀県大会優勝・近畿大会準優勝という結果
中学3年間を通じて目立った成績として残っているのが滋賀県大会での優勝と近畿大会での準優勝という記録です。
これがあったからこそ、次のステップで強豪・守山高校への進学につながっていったんでしょう。
要するに小学生から中学生まで、井原はずっと「点を取る人」として育ってきたわけです。
後に日本を代表するディフェンダーになるとはこの時点では誰も予想できなかったはず。そういう意味では、人生ってほんとわからないなと思いますね。
高校時代 滋賀県立守山高等学校でサッカーに本気で向き合う
滋賀のサッカー強豪校・守山高校とはどんな学校か
高校は地元滋賀県の滋賀県立守山高等学校へ進学しています。住所は滋賀県守山市守山3-12-34。
中学校も併設された中高一貫校になっていて、野球部は1967年夏の甲子園出場、サッカー部は全国ベスト4の実績を持つという歴史ある学校です。
ちなみに、野球部が甲子園に出場した1967年というのは、ちょうど井原正巳が生まれた年でもあります。偶然ですけどなんかちょっと面白い一致ですよね。
サッカー部に関しては守山高校が全国ベスト4に進出したのが1982年度の全国高校サッカー選手権のことで、これは井原が入学する前年の話です。
つまり全国でも上位に食い込んだ直後の強豪校に入学したということ。
それはかなりプレッシャーのある環境だったんじゃないかと想像します。
1年生からレギュラーを掴み、全国大会へ
入学式前の3月下旬から練習に参加していたというエピソードがスポニチの連載に載っていて、当時の意気込みが伝わってきます。
そして1年生から即レギュラーを獲得。
高校2年時には第63回全国高校サッカー選手権大会に出場していて、茨城県代表の日立工業高校に初戦敗退という結果に終わっています。こ
のとき井原が出場したポジションはやはりフォワードでした。
それに加えて、高校2年の時点でU17日本代表(ユース代表)にも選ばれていた記録があります。
ただ、この時期の代表では中国遠征で結果を残せず、その後しばらく招集が途絶えたとも語っています。

筑波大学進学を選んだ背景にあった担任の影響
ここが個人的にすごく好きなエピソードなんですが、筑波大学の存在を最初に知ったのは中学時代に教育実習に来た筑波大の学生を見たときだそうです。
「桐の葉のジャージ」がかっこよくて記憶に残っていたと。
さらに、高校時代の担任の先生が筑波大出身だったことも大きな後押しになって、最終的に筑波大を目指すことにしたんですね。
進学先の選択って、こういう何気ない出会いやご縁で決まったりするんですよね。
自分の考えとしてはこの担任の先生との出会いがなければ、井原の人生はまったく違う方向に進んでいた可能性もあると思っています。
大学時代 筑波大学体育専門学群でDFに転向し日本代表へ
筑波大学体育専門学群ってどんなところ?
1986年4月、井原は筑波大学体育専門学群に進学し、蹴球部に入部しました。
通称「体専」と呼ばれるこの学群は体育・スポーツおよび健康に関する総合的な知識と実技を学ぶ場で、優れた運動技能と科学的知見を合わせ持つスポーツ界のリーダーを育てるという明確なビジョンを持っています。
蹴球部は関東1部リーグでの優勝歴もある強豪で、全国各地から実力のある学生が集まってきます。
井原と同期には元日本代表・中山雅史(ゴン中山)や影山雅永(後のU-18日本代表監督)といった面々がいたほど、人材が豊富な学年でした。
当時、同期の中山雅史と追越のセブンイレブンでアルバイトをしていたというエピソードが本人のインタビューに出てきます。
バレーボール選手の中垣内祐一も一緒だったとのことでなんかその組み合わせがすごすぎて笑えてきます。そのコンビニ、絶対すごかったと思う。
「トイレ抜け」の偶然が歴史を変えた転換点
自分が調べていて一番驚いたエピソードがここです。
大学1年生のとき、ユース代表の練習中にDFの選手がトイレに席を外してしまい、その穴埋めとして急きょ井原がDFを任されたのがすべての始まりでした。
当時のユース代表監督だった松本育夫氏が「やってみろ」と促したわけです。
本人は「やってみると面白かった」と語っていて、そこからDFへの転向が決まっていきます。
…これ、もしそのDFの選手がトイレに行っていなかったら、「アジアの壁・井原正巳」は存在しなかったかもしれないわけですよ。
偶然って本当に怖いというか、人生を変えますよね。
細かく検証してないけど、こんな形でキャリアの方向性が決まった日本代表選手は、あまり例がないんじゃないかという気がしています。

中山雅史とセンターバックでコンビを組み大学選手権優勝
DFに転向した井原はなんと同じくDFだった中山雅史とセンターバックでコンビを組むことになります。
後に中山がストライカーとして大成することを考えると、なかなか不思議な組み合わせですよね。
このコンビで大学選手権優勝も果たしていて、大学2年時には総理大臣杯でも優勝、リーグ戦を2回制しています。井原本人が「印象深い」と振り返るほど充実した大学時代だったようです。
大学2年で日本代表デビュー、教員免許も取得
転向からわずか約1年、大学2年生にして日本代表に初選出されるというスピード出世。1988年1月27日のアラブ首長国連邦戦で代表デビューを果たしています。
それと同時に、大学時代は体育教員の免許取得も目指していたことが本人のインタビューから明らかになっています。
「教員なら、好きなサッカーを教えながらずっとサッカーに携われる」
という考えがあって筑波大を選んだわけですから、本人はプロ選手になるつもりよりもむしろ教員になるつもりで大学に来ていたんですね。
実際に教育実習にも行ったと語っていて、卒業後に日産FCに入ってからも、「もし道が断たれたら教員採用試験を受けよう」という考えを持ち続けていたそうです。
筑波大時代の4年間を本人はこう振り返っています。
「遊ぶところもなく、サッカーと勉強に集中できる環境だった」
と。
東京に近いと思ったら全然違った、当時はまだ「つくば村」みたいな感覚だったという話も面白くて、関西出身の若者が茨城の研究学園都市で4年間過ごした経験がその後の指導者としての人間的な厚みにもつながっているんじゃないかなと思います。
まとめ 学歴から見えてくる井原正巳の原点
- 甲賀市立貴生川小学校に通い、小学3年で特例入団した貴生川サッカー少年団でサッカーを開始
- 甲賀市立水口中学校ではFWとして滋賀県大会優勝・近畿大会準優勝を経験
- 滋賀県立守山高等学校(全国ベスト4の実績校)に進学し、1年生からレギュラー・全国大会出場
- 筑波大学体育専門学群へ進学し、当初は体育教員を目指していた
- 大学1年時にDFへ転向、大学2年で日本代表デビューという急成長、教員免許も取得
小学校から高校まで一貫してFWだった選手が大学入学後の偶然の出来事をきっかけにポジションを変え、そこからわずか1年で日本代表に呼ばれる。
こういう話を掘り下げていると、才能って結局「どこに向けるか」次第なんだなと改めて感じますね。
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