この記事を読めば伊澤菜々花選手の学生時代の全貌。どんな学校で育ち、何を積み重ねてきたのか。がまるごとわかります。
34歳でも現役バリバリ、引退→大学院→再復帰という異色の経歴を持つ彼女がどんな学歴をたどってきたのか、気になっている方は多いんじゃないかと思って。
メディアのインタビューやターツ公式レポートなどを丹念に調べたので、ぜひ最後まで読んでみてください。
伊澤菜々花の小学校時代
出身は愛知県豊橋市、小学校の名前は非公表
伊澤菜々花選手は1991年4月13日生まれで35歳、愛知県豊橋市出身です。
LA五輪を目指して走り続けているわけですが、幼少期の話はどうかというと。
正直、小学校の具体的な校名については公式メディアやインタビューで明言された情報は見当たりませんでした。
ただ、地元・東愛知新聞の記事には「豊橋市内の陸上クラブで小学生を集めて始まった小学生陸上クラブ」の記録に伊澤選手の名前が残っています。
参考:https://www.aichi-rk.jp/kouhou/pdf/009.pdf
これはかなり興味深いんですよね。
つまり、小学生時代からすでに陸上クラブに参加していた可能性があるということで。ここはあくまで私の考察ですが、小学校時代から走ることへの親しみがあったんじゃないかという気がします。
豊橋市の公立小学校というのが一般的な見方でおそらくその可能性が高いとは思うんですが。確定情報ではないので、断言は避けておきますね。
中学時代 豊橋市立南部中学校
中学時代から全国レベルの存在
中学校は豊橋市立南部中学校です。
地元紙の取材記事の中で、「南部中学校で出会った伊澤菜々花」という記述が確認できました。彼女の恩師となる指導者と出会ったのもここだったんですね。
豊橋市立南部中学校は豊橋市の南部エリアに位置する公立中学校で、特段、陸上の強豪校という印象は調べた限りでは見当たりませんでした。
なのに、ここで才能が花開いたというのはちょっと面白いなと感じていて。
「普通の公立中学」から都大路の常連校へ
「市立の公立中学から全国レベルへ」という流れは、実はわりと陸上界では珍しくないんですけど、南部中での伊澤選手の詳しい記録は正直、細かくは追えませんでした
。ただ、恩師の存在が大きかったのは間違いないんじゃないかと思っています。
先生との出会いがそのまま豊川高校への進学につながったと読み取ることもできますから。
高校時代 豊川高校(私立)
全国高校駅伝の「常連中の常連」
高校は愛知県の私立・豊川高校に進学しました。
ここがキャリアの大きなターニングポイントでしょうね。
豊川高校は宗教教育を柱に「共に生きる」を理念に掲げる私立高校で、JR・名鉄が通る豊川市に位置しています。
スポーツの側面では女子駅伝部が全国でも屈指の強豪として知られていて、愛知県代表として都大路(全国高校駅伝)に常連出場しています。
2026年1月にはトレーニングセンター「躍進館」が完成したことが報じられていて、部活動への投資も惜しまない校風が続いているみたいです。
伊澤選手の時代と今とでは設備面はだいぶ違うと思いますがその「強くし続ける文化」みたいなものは変わっていないのかもしれないですね。
3年連続区間賞という「怪物」ぶり
豊川高校での実績がとにかく圧倒的なんです。
1年次の全国高校駅伝(2007年)
3区3kmを担当。トップの立命館宇治の選手・沼田未知選手(後のアジア選手権銅メダリスト)と接戦を演じながら区間賞を獲得しています。
相手は後に国際舞台に立つ選手。その1年生がガチで勝負できたって、普通に考えてすごくないですか。
2年次(2008年)
準エース区間の2区4.0975kmで7位からスタートして2位まで押し上げる激走。2年連続区間賞を獲得し、チームはこの年に大会初優勝を果たしました。
チームの優勝を手繰り寄せたのは、ほかでもない伊澤選手の走りだったわけです。
3年次(2009年)
最長・最もプレッシャーのかかるエース区間の1区6kmを担当。
混戦の中、成田の小﨑裕里子選手を2秒差で振り切り、3年連続区間賞。豊川はこの年も優勝し、大会2連覇。
3年間、一度も区間賞を逃さないというのはちょっと「怖い」レベルですよね。同じ年にはインターハイ3000mでも優勝を果たしています。
大学時代 順天堂大学
スポーツ・陸上界の「名門中の名門」
高校卒業後は順天堂大学に進学しました。
順天堂大学は1838年創立という歴史を持つ総合大学で、医学・スポーツ科学の分野で国内トップクラスの知名度を誇ります。
スポーツ健康科学部を中心にオリンピアンを多く輩出してきた実績があって。
陸上界で言えば箱根駅伝でも常連の名門です。女子長距離でも実績があり、全国から有力選手が集まる環境でした。
大学4年次に全日本大学女子駅伝で区間賞
大学記録で目立つのは2013年(大学4年時)の全日本大学女子駅伝5区での区間賞です。
チーム全体は10位という結果でしたが、個人として結果を残したことは確かです。
ただ、正直に言うと高校時代の「3年連続区間賞」という圧倒的な輝きに比べると、大学時代は少し地味な印象があります。
本人もどこかのインタビューで「実業団でも期待されるほどの活躍ができなかった」というニュアンスのことが伝えられていて、大学卒業後に入ったユニバーサルエンターテインメントアスリートクラブでも似たような状況だったようです。
でもこれってむしろ後の復活劇を考えると、「あの時代があったから今がある」とも言えますよね。まあ、私の見立てでしかないんですけど。
順天堂大学大学院に進学
引退後に選んだ「もう一つの道」
2021年12月に現役を退いた伊澤選手が選んだのは、母校・順天堂大学の大学院への進学でした。
スターツ公式レポートには「昨年3月に、順天堂大学大学院を修了し、2年3ヶ月振りに現役復帰を決めた」という記述があり、大学院在籍期間はおおよそ2021年末〜2024年3月ごろと考えられます。
「コーチ業」が復帰への伏線だった
大学院では後輩の学生たちのコーチを担当しました
「たまに学生たちと一緒に走ったりすると『走るっていいな』と思うようになってきた」
という発言が記録されていて。わかる気がします。教える立場になって、初めて自分がまだ「競技者」であることに気づいたんでしょうね。
これ、個人的にはけっこうジーンとくるエピソードなんです。
自分が目指したいことって、離れてみて初めて気づくことってあるじゃないですか。
2024年3月に大学院を修了し、同年4月にスターツへ入社して現役復帰。
そこからたった10ヶ月で初マラソン(大阪国際女子マラソン)に挑んだわけですから。やっぱりこの人、普通じゃないですよ。
現役復帰後の活躍
大学院修了から「爆走」へ
現役復帰してからの伊澤選手の活躍は、驚くほど急速でした。
2025年のプリンセス駅伝では13人抜きで区間賞、同年の日本選手権女子5000mでは15分24秒76で6位入賞。
スターツの伊澤菜々花、13人抜きの爆走で14位→1位!【プリンセス駅伝・3区】 – TBS NEYS DIG –https://t.co/SmWsIiUCH6
— スターツ陸上競技部 (@starts_ac) October 19, 2025
これ、自己ベスト更新なんですよね。34歳でPBを出すアスリートって、長距離界でもかなり珍しいんじゃないかなと思っています。
大阪国際女子マラソンでは低体温症で病院搬送という心配な出来事もありましたが、それでも諦めずに走り続けている。「上り坂34」と命名したのは解説者の増田明美さんだそうで、言い得て妙だなと思いました。
まとめ
伊澤菜々花選手の学歴をまとめるとこんな流れです。
- 小学校は愛知県豊橋市内の公立小学校(校名は公表されていない)、小学生陸上クラブに参加していた可能性あり
- 中学校は豊橋市立南部中学校(恩師との出会い、全国への足掛かり)
- 高校は私立豊川高校(全国高校駅伝3年連続区間賞・インターハイ3000m優勝)
- 大学は順天堂大学(全日本大学女子駅伝5区区間賞)
- 大学院は順天堂大学大学院(2021〜2024年・学生コーチとして指導)
小学校から大学院まで辿ってきた道筋を見ると、「すごい経歴だな」というより「人間らしい紆余曲折があるな」という印象のほうが強いです。
華々しい高校時代から、目立たない大学・実業団時代を経て引退、大学院、そして復活。。一直線じゃないところが、むしろ応援したくなる理由なのかもしれませんね。
コメント