この記事を読めばブレイキングダウンのプロデューサー・和田悟さんの小学校時代から東京大学卒業まで、すべての学歴エピソードが一気にわかります。
「なんとなく東大卒というのは知ってたけど、子どもの頃ってどんな感じだったの?」
って気になっている方に向けて私なりにいろいろ調べてまとめてみました。
プロフィール早見表
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 和田悟(わださとる) |
| 生年月日 | 1987年6月2日 |
| 年齢 | 39歳 |
| 出身地 | 北海道芦別市(生まれ)、後に香川県高松市→横浜市に移住 |
| 小学校塾 | SAPIX自由が丘校に在籍 |
| 中学校・高校 | 駒場東邦中学校・高等学校(東京都世田谷区) |
| 大学 | 東京大学経済学部(文科二類)卒業 |
| 職業 | 演出プロデューサー・実業家(株式会社WADAI代表取締役) |
小学校時代 転校を繰り返しながらSAPIX全国2位
北海道から香川、横浜へ
和田悟さんは北海道芦別市で生まれ、その後、小学校在学中に香川県高松市、横浜市と移り住んでいます。
転校って正直、子ども心にはけっこうつらいものがあるんじゃないかなと思うんですよね。
なのに、そんな環境の変化をものともせずに成績を伸ばしていたというのがまず驚き。
SAPIXに入塾して全国模試2位
横浜に移ってからSAPIX(サピックス)自由が丘校に入塾。小学3年生のときに受けたSAPIXの全国模試で、なんと2位という成績をたたき出したというんです。
これ、どのくらいすごいことかというと。。
SAPIXは首都圏を中心に展開する難関中学受験専門の進学塾で、入塾自体にすでにテストがあるくらいレベルが高い。
その塾の全国模試で2位というのは「頭がいい子」というレベルをはるかに超えています。
和田さんご自身も動画の中で「野球と受験勉強が小学校時代の中心でした」「小3でSAPIXに入って全国2位でしたね」と当時を振り返っています。
肌感で言うとこの時点でもう東大への道はほぼ見えていたんじゃないかなという気もして。
中学と高校時代 第一志望の筑駒に届かず、駒場東邦へ
第一志望は筑駒だった
小3でSAPIX全国2位というポテンシャルを持つ和田さんが中学受験の第一志望に据えたのは「筑波大学附属駒場中学校(筑駒)」。筑駒といえば、東大合格者数で毎年全国トップクラスを争う、日本最難関の国立中学校です。
残念ながらそちらには届かなかったとのことで。
ただ正直に言うと、「筑駒に落ちた」と聞いてすごくびっくりしました。それだけ中学受験の最上位争いはシビアなんだなと改めて実感。
駒場東邦中学校・高等学校に進学
第一志望は筑駒だったものの、進学先として選んだのが駒場東邦中学校です。
偏差値は四谷大塚基準で66〜、SAPIXでも60前後という超難関校。
駒場東邦について少し掘り下げると、1957年創立の完全中高一貫男子校で、東京都世田谷区に位置しています。
「自主・独立の精神」を教育理念に掲げ、生徒一人ひとりのコミュニケーション能力と個性を育てることを大切にしている学校として知られています。
さらに印象的なのが少人数制授業や習熟度別授業を創立当初から50年以上にわたって実施してきたという点。
いまでこそ多くの学校が取り入れている手法ですが、駒場東邦はかなり先進的な教育スタイルをずっと維持してきた学校なんですよね。
進学実績も本物で2024年度卒業生では東大に現役36名、既卒生と合わせて44名が合格。「答えを自分で考えて出す習慣」を全教科で身につけさせるカリキュラムが、東大や医学部への強さに繋がっているんだと思います。
高2で医師の夢を断念、高3春に文転という大決断
駒場東邦在学中の和田さん、実は医師を目指していた時期があるんです。
理系コースに在籍し、医学部を志望していたわけですが高校2年生のときに慶應義塾大学医学部への合格確率が「五分五分」と判断し、医師の道を諦めることに。
ここで個人的にすごく気になるのが、「五分五分ならそのまま挑戦してみればよかったんじゃ?」という疑問なんです。
でも和田さんは「ここじゃない」と感じた瞬間に即座に方向転換できる人なんでしょうね。それが彼の根本にある思考のクセというか。
しかもその文転のタイミングがなんと高校3年生の春。
普通なら「もう手遅れだよ!」と焦るタイミングです。
受験のプロたちも「高3春の文転は相当なリスク」と口を揃えるような状況。
それでもそこから猛勉強に切り替え、現役で東大に合格してしまうんだからもうそれだけで別格です。
大学時代 「猫文二」で死ぬほど遊んだ東大生活
東京大学経済学部(文科二類)に現役合格
高3春の文転というリスクを乗り越えた結果、見事に東京大学文科二類への現役合格を果たします。
文科二類は主に経済・商・法系への進学を視野に置く科類で卒業時には経済学部を選んでいます。
正直「文転してからそんなに短期間で東大受かるの?」と思って調べてみたんですが情報がほとんどなくて……。
あくまで私の見立てでいくと、もともとの地頭の高さ(SAPIXで全国2位の実績)に加えて、それまでの理系的な論理思考力が文系科目の論述や数学に活きたんじゃないかなという気がしています。
「猫文二」という愛称
ちょっと面白い話なんですが当時の東大文科二類は「猫文二」という通称があったとのこと。
「猫でも卒業できる」といった意味合いで呼ばれていたもので、他の科類に比べて単位の取りやすさがゆるやかだったと言われています。
和田さんご本人も「冬はスノーボード、それ以外の時期は麻雀と飲み会」という大学生活を謳歌していたとインタビューで語っています。
受験期に積み上げた努力を、ここで全力発散した感じですね。なんか微笑ましい🙂
ミスターコンテストに出場するハメになった話
これは個人的にいちばん笑ったエピソードで。
東大の「広告研究会」にミスコン出場者目当てで入部したところ、気がついたら自分がミスターコンテストに出ることになっていたというオチ。
……人生って不思議ですよね。
「芸人さんと仕事したい」という一心でテレビ局に就職を志した人が、東大でミスターコンテストに出て、TBSに入って最年少プロデューサーになり、今やブレイキングダウンを回している。
ざっくりした感じで言うと和田さんの人生ってどこかのタイミングで「なんとなく巻き込まれた先」に本質があるタイプなのかもしれないですよね。
就職活動と2010年TBS入社
就活での軸はシンプルで、「芸人さんと一緒に仕事がしたい」という思い。
フジテレビやTBSを志望し、最終的にTBSテレビに2010年入社。
入社後はADからスタートし、『ひみつの嵐ちゃん!』のチーフADを経て当時TBS史上最年少(27〜28歳)でバラエティ番組のプロデューサーに就任する快挙を成し遂げます。
まとめ 学歴が語る和田悟という人間
- 小学3年でSAPIX全国2位という圧倒的な地頭を幼少期から持っていた
- 転校という環境変化を乗り越えながらも着実に学力を磨き続けた
- 第一志望の筑駒に届かず駒場東邦へ進学、でも同校は偏差値66以上の超難関校
- 高3春という最悪のタイミングに文転を決断して現役で東大に合格
- 東京大学経済学部(文科二類)卒業後、TBSへ入社し最年少プロデューサーに
全部追ってみて感じるのは和田悟さんの学歴はただの「頭のよさ」の証明じゃないということ。迷ったら動く、切り替えたら全速力で走る。
そのスタイルが学生時代からすでに出来上がっていたんだなと、改めて思います。
ブレイキングダウンという型破りなコンテンツを作れるプロデューサーの原点がこの学歴の裏にあるんじゃないかなと感じています。
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