橘和奈の通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めば橘和奈さんが小学校から大学卒業まで、どんな学校でどんな経験をしてきたのかが丸ごとわかります。

正直、最初は「元CAのグラビアタレント」くらいのイメージしかなかったんですけど、調べていくうちにその学生時代のエピソードがとんでもなくて。

震災の被災→アメリカ高校留学→上海大学留学→大手航空会社CA就職、というルートを自分の力で切り開いてきた人なんですよね。ちょっと圧倒されました。

目次

小学校時代 南相馬市で育ち、震災で一変した日常

福島県南相馬市の小学校に通っていた

橘和奈さんは福島県南相馬市の出身で、地元の小学校に通っていたとみられます。

ただ、具体的な校名はどのメディアインタビューでも明かされていないので、現時点では不明のまま。南相馬市内の公立小学校だとは思うんですが、断言はできないですね。

南相馬市は福島県の沿岸部に位置する市で、東日本大震災の際には津波と原子力発電所の事故による複合的な被害を受けたエリア。

「特別警戒区域」に近い地域でもあったので子どもたちの生活への影響はとても大きかったみたいです。

小学6年生で東日本大震災を経験

2011年3月、橘さんが小学6年生のとき、東日本大震災が直撃します。

家が失われ、家族6人で10畳の仮設住宅生活

ここからしばらくは勉強のための机すら満足に使えない環境が続いたと語っています。

食べるものも品薄で、いつもお腹が空いていたと週刊現代のインタビューで明かしていて、読んでいてちょっと胸が痛くなりました。

しかも、外出もままならない。放射能の影響を懸念して、子どもが外で遊べない状況がかなり続いたそうで。

テレビもバラエティ番組が自粛されてしまい、大好きなテレビが見られないのがつらかったとも言っていたんです。子ども目線のリアルな話だなと思います。

中学校時代 仮設住宅での生活と転校

福島市の中学校へ転校

震災後、橘さんの家族は南相馬市から車で約2時間離れた福島市の仮設住宅へ移ることになります。

それに伴って中学校も転校したことをインタビューで話していて、中学2年生まで仮設住宅での生活が続いたとのことでした。

転校先の中学校名も現在は公表されていません。ただ、福島市内の公立中学校に通っていたとは考えられますね。

仙台や会津ではなく「福島市」と語っていることから、福島市立の中学校だった可能性が高いかなと思います。あくまで自分の考えですが。

まゆゆのポスターを切り抜いていた日々

ここ、個人的にけっこう好きなエピソードで。

仮設住宅の部屋に閉じこもって外にも出られない中で、橘さんがやっていたのが雑誌に載っているまゆゆ(元AKB48の渡辺麻友さん)の写真を切り抜いてノートに貼ること

なんかすごくありのままな中学生の姿じゃないですか。

アイドルに救われていた時期が、のちに自分が表現する側に回る伏線だったとしたら、すごく感慨深いです。

高校時代 アメリカ・ミネソタ州の高校へ単身留学

国の支援プロジェクトで渡米を実現

高校進学のタイミングで、橘さんは大きな転換点を迎えます。

新聞の折り込みチラシで偶然見かけた「被災者の海外留学支援プロジェクト」に応募し、見事に通過してアメリカ・ミネソタ州の高校に入学したんです。

渡航費用から現地での生活費、ホームステイ先の手配まで国が支援してくれる制度で、選考基準は英語力ではなく「被災状況」と「作文」が主な要素だったとのこと。

英語がほぼゼロでも受かった、というのが橘さんらしくておもしろいですよね。

高校の具体的な校名は公表されていないんですが、ミネソタ州の「小さな街」のホームステイ先に滞在していたと本人が話しています。

ミネソタ州というのはアメリカ中北部に位置していて、冬はかなり寒く、日本人どころかアジア人自体がほとんどいないようなエリアも多い地域。

そういう環境に飛び込んでいったのが高校1年生、当時16歳くらいの女の子だと思うとなかなかの決断力ですよ。

携帯を日本に置いてきた話が本当にすごい

これが個人的にいちばん驚いたエピソード。

橘さん、アメリカに渡る際に携帯電話を日本に置いてきたんです。

「持っていったら、友だちや家族に連絡しちゃうと思って」

という理由で。…いや、自分だったら絶対できないですよ。

最初の半年間はスケッチブックに絵を描いてコミュニケーションをとっていたそうで、夜も眠れないほど不安だったと正直に話しています。

日本人ひとりもいない、アジア人もほとんどいない環境で、それでも逃げなかった。

半年後には会話ができるようになって、部活のチアリーディングでも馴染めるようになっていったとのことです。

ホームステイ先が中国人家族に変わる

留学生活の中盤でホームステイ先がアメリカ人のおじいちゃん・おばあちゃん世代の家族から、中国人家族に変わったという話も出てきます。

そこで悔しい思いをするんですよね。

家族が中国語でゲームをしているときに「分からないと思うから見てて」と言われたと。

その経験がのちの中国留学への強い動機になっていくわけで。

この伏線の回収の仕方がうまいというか、橘さんの人生、わりと全部つながってるんですよね。

大学時代 仙台の大学から上海へ約2年半の留学

帰国後は「仙台の大学」へ進学

高校卒業後、橘さんは帰国して仙台市内の大学に進学します。大学名は現在も非公表で、「仙台の大学」としか明かされていません。

ちなみにここで少し考察してみると──仙台市内の大学は東北大学や宮城大学、東北福祉大学、仙台白百合女子大学などいくつかありますが、

橘さんの場合、上海の大学と「姉妹校関係」にあったという点が大きなヒントになります。

国際交流が活発で中国との提携校を持つ仙台の大学、という条件で考えると、候補はある程度絞られる気もしますね。

英語を仙台の大学でも深めたかったと週刊現代のインタビューで語っていて、CAへの道を逆算しながら大学生活を設計していたことがわかります。

入学して半年で上海へ、約2年半の中国留学

大学に入学してからわずか半年ほどで今度は中国・上海の大学への留学を決めるんですよね。

「英語は話せるようになったから、今度は中国語を話せるようになりたい」
「CAになったときに役立つと思った」

という明快な理由です。

上海での留学期間は約2年半(一部インタビューでは「3年弱」とも言っている)。仙台の大学の姉妹校として中国・上海の大学と提携があったことが背景にあります。

ただ、橘さん自身が「今度は日本人の仲間もいたから、ついつい日本語も話してしまって、中国語は基礎レベル止まりだったかも」と笑いながら振り返っているのが印象的でした。

自分の甘さも正直に認められるところ、好きだなと思います。

上海での生活、けっこう波乱もあった

週刊現代のインタビューでは上海の街について「街はきれいなんですが、車の運転が荒い」と話していて、「何回か轢かれそうになった」というエピソードも。

しかも青信号でも車が突っ込んでくるというやつ。

まあ、それも笑い話にできてしまうのが橘さんの強さというか。どこに行っても適応してしまう人なんだなと改めて感じます。

大学卒業後 大手CAへ就職、そしてグラビアへ

CAの夢、ついに叶える

大学卒業後は大手航空会社にCAとして入社します。

英語と中国語の語学力を武器に、幼稚園の頃から抱いていた夢を現実にした瞬間ですね。

ところがここでまた、人生の波が来る。コロナ禍でフライトが激減し、さらに気圧の変化で耳を傷めてしまったことが重なり、1年ほどで退職を決断することに。

2023年、グラビアタレントとしてデビュー

知り合いの紹介でグラビアの話が舞い込み、「一回きりの人生だから」と飛び込んだのが2023年4月。

FRIDAYでグラビアデビュー。RIZINガールや女優としても活動の幅を広げています。

学歴まとめ

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時期内容
小学校福島県南相馬市周辺の小学校(校名非公表)
中学校福島市内の中学校へ転校(震災後)(校名非公表)
高校アメリカ・ミネソタ州の高校へ留学(国の被災者支援プロジェクト)(校名非公表)
大学仙台市内の大学へ進学(大学名非公表)
大学在学中上海の姉妹校に約2年半留学
大学卒業後大手航空会社にCA就職→2023年グラビアデビュー
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