この記事を読めば岸谷蘭丸さんが歩んできた学歴の全貌が、小学校受験の挫折からイタリア・ボッコーニ大学合格までまるごとわかります。
正直、調べれば調べるほど「これ、ドラマの主人公じゃないの?」と思うくらい波乱万丈な学歴で、かなり驚きました。
難病、全落ち、不登校、飛び級、世界名門大合格。。
数字や事実だけ追っても異色すぎるんですが、それ以上に「なぜそうなったのか」という背景がおもしろくて。この記事ではそこまで深掘りしていきます。
小学校はトキワ松学園小学校(東京都目黒区)
幼少期の小児リウマチと受験の壁
まず驚いたのが岸谷さんが3〜4歳ごろに小児リウマチ(若年性特発性関節炎)を発症していたということです。
幼稚園時代は全体の3分の1程度しか登園できないほど症状が深刻で、毎週のように入院する生活が続いていたみたいです。
そんな状態での小学校受験がどれだけ大変だったか、想像するだけでちょっと苦しくなります。
早稲田実業初等部、慶應義塾幼稚舎、青山学院初等部など有名私立小学校10校を受験して、全落ち。
病気で勉強もままならないなか挑んだわけですから、結果として全落ちも無理のない話ではあるんですが、当時の家族の心情を思うと……。
【転機】岸谷蘭丸、幼少期に患った“動けない”難病が完治「運です」https://t.co/PKBosLW29m
— ライブドアニュース (@livedoornews) July 26, 2025
若年性リウマチを患い、当時は全身の関節が痛み、ほとんど動けなかったという。小学4年生のとき、新薬の投薬を受けたところ、その薬が効き病気が完治。「これが健常者の体なんだ」と劇的な変化を語った。 pic.twitter.com/CnhnE9wUOg
唯一の合格先、トキワ松学園小学校とはどんな学校か
そんな中で唯一合格したトキワ松学園小学校(東京都目黒区碑文谷)に進学しています。
この学校、少し調べてみたら意外と個性的な教育方針を持っていました。
1〜4年生は1クラス23名という少人数制で、先生と生徒の距離が物理的にかなり近い環境です。
授業時間を15分単位で組み替えるモジュール制というシステムを採用していて、漢字練習は15分、発表中心の授業は45分、図工は90分というふうに内容によって時間を柔軟に変えているんですね。
病気を抱えた子どもにとってこういった少人数で個を大事にしてくれる環境は、精神的にも体力的にもかなりフィットしたんじゃないかと思います。
担任が薬を預かって管理するなどサポートも手厚かったと伝えられています。
9歳で人生を変えた「奇跡の薬」
個人的に一番印象に残ったエピソードがここです。
小学4年生のとき、新薬「アクテムラ」の治験に参加して翌日には全身の痛みが嘘みたいに消えたと本人が語っています。
「これが普通の体なんだ」と初めて知ったその感覚はきっと言葉では言い表せないほどのものだったはずで。
その経験が直接、「小学校受験のリベンジとして早稲田実業を中学受験しよう」という決意につながるんです
。9歳で痛みから解放されて、初めて「挑戦したい」という気持ちが芽生えた。
なんか、そういう原体験って人生の軸になるよなと思いました。
中学校は早稲田実業学校中等部(東京都国分寺市)→中退
難関を突破しても待っていたのは「堕落」だった
小学校受験の雪辱を晴らすために中学受験に挑み、偏差値65〜72の早稲田実業学校中等部に見事合格します。
全国の中学校偏差値ランキングでも50位以内に入る超難関校ですね。
……が、ここからが本当の「しくじり」の始まりです。
入学時点で「もう勉強しなくていい。附属だから大学まで上がれる」という大きな誤解を抱えていたという話を本人が明かしていて、入学直後からスマートフォンゲームに1日10時間以上没頭する日々が始まります。
教科書をスマホの形にくり抜いて中にスマホを隠し、授業中にゲームをしていたというエピソードは、テレビ朝日『しくじり先生』でも紹介されて話題になりました。
中学2年生の学年テストで250人中243位という成績を叩き出し、外部入学者の中で唯一、親が学校に呼び出された生徒だったとも語っています。

山手線を何周もした「逃避の日々」
成績が下がるだけならまだしも、中学3年生になると学校に行くふりをして山手線でゲームをしたり、井の頭公園や電気屋のマッサージチェアで昼寝を繰り返す日々が続いていたそうです。
ちょっと笑えないというか、笑えるというか……。
でも不思議と「悪意のある怠慢」というより、「行き場のない子どもが迷子になってた」感じがして、どこか共感できる部分もあるんですよね。
「特別な自分がキャリアダウンはできない」という論理
中退を決意した理由がまた独特でした。
「早稲田より上の国内の学校はもう無理。でも特別な存在である自分がキャリアダウンは考えられない。だから唯一の選択肢は海外だ」
という、やや歪んだプライドが海外留学という決断を導いたと本人が語っています。
これ、冷静に聞くとかなり危ういロジックなんですけど……そのプライドが結果的に世界名門大への進学につながったわけで、「動機の純粋さより行動の結果が大事」という話かもしれません。あくまで私の考えですが。
転機のきっかけは中学3年の夏に経験したフィリピン・セブ島への短期語学留学で、そこで「世界で挑戦したい」という気持ちが芽生えたといいます。
当時の英語力は英検4級レベルだったそうでそこからアメリカへ飛び込む度胸、かなりすごいと思います。
高校① Ross School(ニューヨーク州イーストハンプトン)
まずはニューヨーク郊外の全寮制校へ
最初に入学したのがニューヨーク州ロングアイランドのイーストハンプトンに位置するRoss School(ロス・スクール)です。
1991年にタイムワーナーの元CEOが設立したという、なかなか豪快な出自の学校で、規模は小さめながら在校生の約半数を留学生が占める国際的な環境が特徴的です。
全校生徒数は約280〜420名で1クラス16名という少人数制、大学進学率はほぼ100%と伝えられています。
ちょっと驚いたのは学費の話で年間約78,000ドル(テニスアカデミー生は約100,000ドル)というレベル感です。
日本円にざっくり換算すると1,000万円超えの規模感でそれが親に大きな負担をかけたと岸谷さん自身も述べています。

英検4級から1日16時間の猛勉強
英語がほぼゼロの状態から入学した岸谷さんが実践したのが、1日16時間・睡眠3時間という極端な勉強スタイル。
これ、体力的にも精神的にもかなり過酷だと思うんですが、「親のお金で年間1000万円以上かかってる」というプレッシャーが背中を押していたんでしょうか。
Ross Schoolにはラグジュアリーな寮があり、カフェテリアは全米ボーディングスクールの食堂ランキングでTOP10に入るほどの環境。
体験型学習(フィールドトリップ)が必修で、3月には1か月間の旅行に参加する文化があったりと、日本の学校とは根本的に学び方の設計が違います。
そういう環境で揉まれながら英語力を猛スピードで引き上げていったんでしょうね。
高校② The Hun School of Princeton(ニュージャージー州プリンストン)→飛び級卒業
名門ボーディングスクールへ編入
Ross Schoolで成績が優秀だったことから、ニュージャージー州プリンストンにあるThe Hun School of Princetonに編入します。
この学校、1914年創立という歴史の長さが印象的で、もともとは「プリンストン数学塾」として始まったのがルーツというのもなかなかユニークです。
45エーカーのキャンパスはプリンストン大学のそばに位置していて、成績優秀な生徒はプリンストン大学の授業を履修することも可能という仕組みがあります。師生比は1対8、寮生は約150名、国際生の割合は約15%。
IBやAPを持たない代わりに、Honors・Accelerated・APなど複数の習熟度別コースを持っていて、学習の質にかなりこだわっている学校だというのがわかります。
3学期で3年分を終わらせた飛び級卒業
岸谷さんはここでわずか3学期分の在籍期間で3年分のカリキュラムをこなし、飛び級で高校を卒業したとされています。
これ、具体的にどういう仕組みかを少し考察すると。
アメリカの高校はクレジット(単位)制なので、取得した単位数が卒業要件を満たせば学年にかかわらず卒業できます。
Ross Schoolでの単位も持ち越しつつ、The Hun Schoolで追加取得することで規定の単位数に達した、というのが現実的なシナリオだと自分では見ています。
あくまで私の推測なので断言はできないんですが、制度的にはそれが一番自然かなと。
なお、コロナ禍で一時帰国していた時期に東京の英語塾「リバティイングリッシュアカデミー」に通って受験対策を続けていたことも明らかになっています。
大学はUniversitàBocconi(ボッコーニ大学、イタリア・ミラノ)
複数の名門に合格してボッコーニを選んだ理由
高校飛び級卒業後、まずフォーダム大学(ニューヨーク)に合格していますが、入学は見送りました。
その後のギャップイヤーで日本に戻り、インターンや家庭教師などの経験を積んだと伝えられています。
翌年の再受験では英国のUCL(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)、英国のKCL(キングス・カレッジ・ロンドン)、ニューヨーク大学、そしてボッコーニ大学に合格します。
この顔ぶれ、普通に世界トップクラスの大学ばかりで、改めてすごいなと感じます。
最終的にボッコーニ大学を選んだ理由として、本人は「アートやクリエイティブ領域の経済が学べるという点が自分の興味に最も合っていた」と述べています。
ボッコーニ大学とはどんな大学か
UniversitàBocconi(ボッコーニ大学)はイタリア・ミラノに拠点を置く私立大学で、1902年創立の歴史を持ちます。
経営・社会科学分野においてQS世界大学ランキングでトップクラスに位置しており、ヨーロッパのビジネス系大学としては屈指の名門校として知られています。
YouTubeのタイトルに「世界3位の大学に合格」とある点についてですが、これはQSの特定の分野別ランキングでの順位を指している可能性が高いと思います。
「世界3位」というのが全体ランキングではなく分野別のものである可能性が高いので、その点は念頭に置いておくといいかもしれません。
出席義務がないというボッコーニ大学の制度を活かし、テスト期間にミラノへ渡航するスタイルで学業と事業を両立させているとのことです。
学歴まとめ 一覧表で全記録を整理
| 学校段階 | 学校名 | 所在地 | 主なエピソード |
|---|---|---|---|
| 小学校 | トキワ松学園小学校 | 東京都目黒区碑文谷 | 有名10校全落ち後に入学。小児リウマチと闘いながら通学 |
| 中学校 | 早稲田実業学校中等部 | 東京都国分寺市 | 偏差値65〜72。入学後にゲーム依存→成績最下位圏→中退 |
| 高校① | Ross School | ニューヨーク州イーストハンプトン | 英検4級から入学。1日16時間勉強、大学進学率ほぼ100% |
| 高校② | The Hun School of Princeton | ニュージャージー州プリンストン | 1914年創立の名門ボーディングスクール。飛び級で卒業 |
| 大学 | UniversitàBocconi(ボッコーニ大学) | イタリア・ミラノ | UCL・KCL・ニューヨーク大学にも合格の末に選択 |
この学歴から見えてくること
「失敗の数」がそのままキャリアの深みになっている
個人的な感想になりますけど岸谷蘭丸さんの学歴で印象的なのって、成功体験より失敗体験の密度の高さなんですよね。
全落ち→合格→中退→飛び級卒業→複数名門合格。なんか、どれかひとつ欠けてもいまの岸谷さんはできあがっていない気がして。
不登校で山手線をぐるぐる周っていた中学時代がなければ、フィリピン留学という選択も生まれなかったし、「特別な自分がキャリアダウンはできない」という歪んだプライドがなければ、海外という選択肢にも辿り着かなかったかもしれない。
要するに、失敗の理由がそのまま次の動機になる構造がこの学歴の面白さだと思います。
海外大受験塾を立ち上げたことへの必然性
岸谷さんが海外大受験専門塾「MMBH」と留学メディア「留パス」を経営しているのも、この学歴があればむしろ当然の流れというか。
英検4級から複数の世界名門大に合格するまでの道のりを自分で歩き切った人間が、「どうすれば行けるか」を教えられる立場になっているわけですから、説得力という意味では申し分ないでしょう。
まとめ
- 幼少期に小児リウマチを発症し、有名私立小学校10校に全落ち。トキワ松学園小学校へ進学
- 新薬治験で病気が完治した9歳のとき、中学受験を決意。難関の早稲田実業学校中等部に合格するも、ゲーム依存・不登校・中退という経緯をたどる
- 英検4級レベルからアメリカへ渡り、Ross Schoolに入学。1日16時間の勉強で英語力を急速に引き上げる
- 名門The Hun School of Princetonへ編入して飛び級で高校卒業
- UCL・KCL・ニューヨーク大学・フォーダム大学などに合格後、最終的にイタリアのボッコーニ大学経営学部を選択
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