宇崎竜童さんの学歴、実際に色々調べてみたんですけど、けっこう面白い発見がありました。
渋谷区の公立小学校から明治大学の附属校ルートを通って、そのまま明治大学法学部まで進んでいるんですよね。
今回はその流れを学校ごとの特徴も交えながら、私が調べて感じたことをそのままシェアしていきたいと思います。
宇崎竜童さんの学歴、まず全体像を整理してみる
学歴の話に入る前に正直に言うと、この方の経歴を調べ始めた最初の印象は「なんかエリート街道っぽいな」でした。
でもよく調べていくと、単純にそう言い切れない部分もけっこうあったんです。
附属校ルートって実はそんなに珍しくない
明治大学附属中野中学校から高校、そして明治大学法学部までという流れは、いわゆる内部進学(エスカレーター進学)というものですね。
受験を挟まずに進めるのでその分時間の使い方が自由になる。実はこれが後の音楽活動にかなり影響していたんじゃないかなと、個人的には思っています。
あくまで私の見立てですけど。
出身小学校は渋谷区立上原小学校だった
小学校の話、意外と情報が少なくて苦労しました。ただ、渋谷区立上原小学校であることは複数のソースで一致していたので、ここはほぼ間違いないと思います。
上原小学校ってどんな学校なんだろう
調べてみたら、上原小学校は1920年(大正9年)に開校した、渋谷区の中でもかなり歴史の古い公立小学校でした。
渋谷区上原三丁目という、閑静な住宅街のなかにある学校ですね。
宇崎さんが通っていた当時とはもちろん校舎も設備も違うと思いますが、地域に根づいた学校で6年間クラス替えなく学級委員長を務めていたというエピソードもあって、当時からリーダー的な立場にいたのかなという印象を受けました。
音楽との出会いは小学3年生だった
面白いのが、音楽に興味を持ったきっかけが家族で行った映画館だったという点です。
映画館の暗闇のなかで聴く音楽、それに米軍向けラジオのFENから流れてくるアメリカンポップスに惹かれたと本人が語っていて、この時期の記憶が音楽人生のスタートラインになっているのは間違いなさそうです。
ちなみに小学校の音楽の成績は「1」だったという、けっこう意外な話も残っています。…うん、成績と才能って本当に別物なんだなとしみじみ思いました。
中学校は明治大学附属中野中学校
小学校卒業後、進んだのが明治大学附属中野中学校でした。ここからが附属校ルートの始まりですね。
明大中野中学ってどのくらいのレベルなの
正直、私も最初はピンと来なかったんですけど、調べてみたら偏差値は68前後というかなりの進学校でした。
男子校で1学年あたり約270名という規模感らしいです。
中学受験の時点でこの偏差値ということは、宇崎さんも子供の頃からそれなりに学力があったのかなと思いますが、ここは本人の当時の成績について具体的な記録が見つからなかったのであくまで推測に留めておきます。
ブラスバンド部でトランペットに出会う
中学2年生の時にブラスバンド部に入部して、トランペットを担当したことが音楽家としての本当の第一歩になったみたいです
理由がちょっと笑えるんですけど、運動会や卒業式で立ちっぱなしなのが嫌だったから楽器を選んだそうなんですよね。
真剣な音楽家としての目的意識というより、けっこう現実的な理由から始まっているのが、逆に人間らしくて好きだなと思いました。
先輩にしごかれながら楽譜の読み書きを覚えていったという話もあって、この基礎練習期間があったからこそ、後の作曲活動に繋がったんだろうなと感じます。
高校も同じ明治大学附属中野高等学校
中学からそのまま同じ系列の高校に進学しています。ここも受験なしの内部進学ですね。
明大中野高校の校風、けっこう独特らしい
現在の明治大学付属中野高等学校は偏差値60台後半、卒業生の約80パーセントが明治大学へ内部進学するという、かなり明治大学との結びつきが強い学校です。
男子校で校則がしっかりしている一方、部活動は全国レベルの実績を持つところもあるそうで、文武両道というか、けっこうバランスの取れた学校なんだなという印象を受けました。
宇崎さんが通っていた1960年代当時の校風がどうだったかまでは詳しくわからなかったんですが、附属校特有の一体感みたいなものはこの頃からあったんじゃないかなと思います。
高校時代にはすでに作曲を始めていた
高校でも中学時代と同じブラスバンド部に所属していて、トランペットを続けていたようです。
しかも高校1年の頃にはすでにトランペットを使って自分で曲を作っていたという記録もあるんです。
これって普通に考えたらかなり早熟ですよね。
ただの部活動の延長線上というより、この時点でもう作曲家としての土台をしっかり築いていたんじゃないかなと思います。
大学は明治大学法学部法律学科
高校卒業後はそのまま明治大学法学部法律学科に入学しています。1969年に卒業したという記録も本人のインタビューで確認できました。
明治大学法学部って実はかなり歴史がある
法学部の歴史をちょっと調べてみたら、そのルーツは1881年に設立された明治法律学校にまで遡るんですよね。
明治大学のなかでも最古の学部だそうです。
法律を専門的に学ぶ環境としては申し分ない場所だったと思いますが、宇崎さんの場合、この学部での学びが直接音楽キャリアに結びついたという話は見つかりませんでした。
正直、法学部で学んだ内容が具体的にどう役立ったのかは、本人が明確に語っている資料が少なくて、ここはちょっと憶測になってしまいます。
ただ、法律という論理的な思考を扱う学問と作詞作曲という感性の世界、この両方を経験していることが、後の活動の幅広さに繋がっているのかもしれないなと勝手に想像しています。
軽音楽部で妻・阿木燿子さんと出会っていた
大学入学と同時に軽音楽部に入部してジャズバンドでトランペットを担当していたそうです。
先輩に引きずられるように入部したという話らしいんですけど、演奏したアドリブが評価されて、1年でレギュラーメンバーに抜擢されたというのはけっこうすごいことだと思います。
しかもこの時期に、後に妻となる阿木燿子さんと出会っているんですよね。
この出会いがなかったら、あのヒット曲の数々は生まれていなかったかもしれないと考えると大学時代の人間関係って本当に人生を左右するんだなと実感します。
大学4年間で350曲以上を作っていたという話
これ、正直めちゃくちゃ気になったポイントです。
ビートルズに影響を受けて作曲家を志すようになり、アルバイトで買ったエレキギターを独学で練習して、大学4年間でおよそ350曲も作ったと本人が振り返っているんです。
単純計算すると年間90曲近く、月にすると7〜8曲くらいのペースになるんですけど、これって本当にすごい量ですよね。
歌詞は自分だけじゃなく同級生やその家族にも頼んでいて、そのうちの一人が阿木燿子さんだったという話も出てきました。
大学卒業後、一度は一般企業に就職していた
学歴の話の延長で卒業後の進路も見ておきたいと思います。実はこの部分、けっこう知られていないエピソードだったりします。
わずか1ヶ月で退職している
大学卒業後、オフィス用品の販売会社に就職したそうなんですが、性に合わず1ヶ月で退職しています。
法学部を出て一般企業に入ったのに、たった1ヶ月で辞めてしまうという判断の速さ、これはもう音楽への思いがそれだけ強かったということなんだろうなと思います。
正直、この決断力は素直にすごいと思いました。
音楽プロダクションでの裏方経験が転機になった
退職後は義兄が経営する音楽プロダクションに入って、新人アーティストのスカウトやマネージャー業務、それに作曲活動を裏方として支えていたそうです。
1969年には阿木燿子さんとコンビを組んで作曲家としてデビューし、1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成してボーカルとしてもデビューしています。
学歴を振り返って感じたこと
ここまで調べてきて個人的にいくつか思うところがあったので、正直な考察を書いておきます。
附属校だからこそ音楽に時間を使えたのかもしれない
これまで色々な芸能人の学歴を見てきた中で、附属校からそのまま大学まで進学したケースって、受験勉強に時間を取られない分、部活動や独自の活動に打ち込める時間がわりと長くなる傾向があるように感じています。
宇崎さんの場合も中学から大学まで一貫して音楽系の部活動を続けられたことが、大学4年間で350曲という驚異的な作曲量に繋がったんじゃないかなと私は見ています。
これは断定できる話じゃなくて、あくまで複数の学歴データを比較してきた中での推測に近い視点であることは正直にお伝えしておきます。
法学部出身という経歴、実はけっこう珍しい
音楽家やアーティストの学歴を調べていると、音楽大学や芸術系の学部出身の方が多い印象があるんですけど、宇崎さんの場合は完全に法学部出身なんですよね。
この組み合わせ、けっこう珍しいなと感じました。
法律という論理を扱う学問を学んだ人が感性で勝負する音楽の世界でトップに立っているというのは、なんというか、学歴と職業が必ずしも一致しないという良い例なのかもしれません。
この記事で分かったことのまとめ
宇崎竜童さんの学歴を振り返ると次のような流れになっています。
- 渋谷区立上原小学校を卒業
- 明治大学附属中野中学校に進学しブラスバンド部でトランペットを始める
- 明治大学附属中野高等学校へ内部進学し高校1年から作曲を開始
- 明治大学法学部法律学科に入学し軽音楽部で妻・阿木燿子さんと出会う
- 1969年に大学卒業後、音楽プロダクションでの裏方経験を経てプロの作曲家、バンドボーカルとしてデビュー
大学附属校ならではの一貫した音楽活動が、後の作曲家・宇崎竜童さんを生み出す土台になっていた。
そう考えると、学歴ってただの肩書きじゃなくて、人生の選択肢を広げる時間の使い方そのものなんだなとしみじみ感じました。
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