光石研の通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めば俳優・光石研(みついしけん)さんの小学校から大学までの学歴と高校時代に起きた「まぐれとは言い切れない」運命のデビューストーリーが全部わかります。

光石研さんってドラマや映画で本当によく見かける俳優さんですよね。脇役なのにやたら記憶に残る。そういう「名バイプレイヤー」の代名詞みたいな方。

調べてみると学歴の話からキャリアのスタートまで、思っていたよりもずっとドラマチックな話がたくさん出てきて、正直けっこう引き込まれてしまいました。

目次

光石研の学歴一覧

まず整理しておくと光石研さんの学歴はこんな感じです。

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学歴学校名時期
小学校八幡市立黒崎小学校(現:北九州市立黒崎中央小学校)1968年〜1974年頃
中学校八幡市立黒崎中学校(現:北九州市立黒崎中学校)1974年〜1977年頃
高校東海大学付属第五高等学校(現:東海大学付属福岡高等学校)1977年〜1980年頃
大学不明(東京都内と推測)1980年頃〜不明

小学校と中学校は地元の北九州市八幡西区の公立校。高校から私立へ進んでいます。

大学については進学したこと自体はインタビューから確認できているんですが、学校名は非公開のまま。この点については後で詳しく話します。

出身小学校は八幡市立黒崎小学校

北九州・黒崎という街で育った原体験

光石研さんが通っていたのは福岡県八幡市(現・北九州市八幡西区)の八幡市立黒崎小学校、現在の北九州市立黒崎中央小学校です。在籍は1968年から1974年頃まで。

黒崎という街、みなさんご存知でしょうか。

八幡製鉄(現・日本製鉄)を中心に、工場や商業地が混在する独特のエリアで、かつてはかなり活気があった街です。

光石さん自身も後のエッセイやインタビューで、「カオスな黒崎の記憶」という言葉を使って語っているほどで、それが演技のリアリティに繋がっているという話もあります。

小学生のころの光石さんはどんな子だったかというと、「クラスで前に出るタイプではなかった」らしいんですが、身近な友人たちの間ではモノマネで笑わせるのが得意だったとか。

ザ・ドリフターズのモノマネが特にうまかったという話も残っていてこれが地味にちょっと好きなエピソードです(笑)。

小学生のころの夢は漫画家だった

俳優のイメージが強いので意外なんですが光石さんが小学生のころに描いていた夢は漫画家だったみたいです。

絵を描くことが好きで、人の感情を形にしたいという欲求がすでにこの頃からあったのかなと思うと後の俳優業との繋がりを感じますよね。

人を笑わせたい気持ちと表現することへの興味。ここが光石さんの原点なのかもしれません。

出身中学校は八幡市立黒崎中学校

地元の公立校からそのまま進学

中学校は小学校からそのまま地元の八幡市立黒崎中学校(現:北九州市立黒崎中学校)に進学しています。在籍は1974年から1977年ごろ。

本人はのちのインタビューで「勉強は嫌いで、中学からはやんちゃばかり」と語っていたそうで、まあ、学業優秀タイプではなかったんでしょう。

そういう話を聞くと逆に親近感が湧くというか、普通の男の子だったんだなと感じます。

部活動についての情報はとくに見当たらないので、何かに本気で打ち込んでいたというよりは、友人と日々過ごしていた中学時代だったのかもしれません。

演劇大会でクラスを盛り上げた話が印象的

ここで一個、個人的にすごく気になったエピソードがあって。中学時代のクラス対抗演劇大会で、光石さんが「全編北九州弁で演じよう」と提案して観客を大いに笑わせたという話があるんです。

これって、今思えば俳優としての素地が中学時代にはもう出ていたということですよね。

ただ、当時の本人はまさか俳優になるとは思っていなかったはず。まあ、才能ってこういう形で先に出てくるものなのかもしれませんね。

出身高校は東海大学付属第五高等学校

地元北九州を離れて宗像市へ

高校は地元の公立ではなく、東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)という私立校に進学しています。1977年4月入学、1980年3月卒業です。

この学校は福岡県宗像市田久に位置していて、現在は「東海大福岡」の略称で呼ばれることが多い学校です。

1966年に東海大学第五高等学校として開校した、学校法人東海大学の付属高校14校のうちのひとつ。

サッカーの強豪校としても有名で全国高校サッカーへの出場回数は14回以上となっています。

学校の概要と偏差値

偏差値はコースによって異なってい42〜56程度とのこと。附属校なので東海大学への学内推薦制度もあって、進路の幅が比較的広い学校です。

光石さんが通っていた1970年代後半は今とは状況が違うと思いますが東海大学の附属という環境ということで、内部推薦で大学に進める可能性が当時からあったはずです。

後で触れる「大学進学」との繋がりを考えるとここは一つのポイントかもしれないと思っています(あくまで私の考えですが)。

16歳、絆創膏姿で主演を掴んだ話

高校時代で絶対に外せないのがこれですよね。

高校在学中の1978年、友人から「博多が舞台の映画のオーディションがあるから一緒に受けに行かんや」と誘われた光石さん。

目的はエキストラのアルバイト、日当1万円が目的だったとも言われていてまあ、俳優を目指してという話では全然なかったわけです。

ところが。

オーディション前日に同級生とケンカになり、眉のあたりを2針縫う怪我をしてしまいます。

翌日、絆創膏を貼ったままオーディション会場へ乗り込んだ光石さん。

審査員に怪我の理由を聞かれて正直に「同級生とケンカしました、負けました」と答えると、「じゃあその時の様子を演じてみて」と言われたそうです。

思い切って演じてみたら動きが滑稽だったのか審査員たちが笑い出した。

それがきっかけで主役に抜擢。映画は1978年公開の『博多っ子純情』、原作は長谷川法世さんの漫画。その時16歳でした。

この話、何回読んでも「すごい話だな」と思います。

ケンカしなかったら、あるいは怪我の理由を正直に話さなかったら、今の光石研は存在しなかったかもしれない。偶然と素直さが重なっての主演デビュー。なんかドラマみたいな話ですよね。

現場の楽しさが、俳優業への入口になった

光石さんは後のインタビューで

「『博多っ子純情』の現場が楽しかったので映画制作に関わりたいと思った」

と語っています。

当初は「日当目的のアルバイト感覚」だったはずが、現場の空気を体感して気持ちが変わった。

ちなみに撮休日(撮影休みの日)にスタッフに新宿に連れて行ってもらった話も残っていて、そこで女性が踊り出す場面に衝撃を受けたというエピソードも伝わっています。

北九州からやってきた高校生にとって東京の刺激はかなり大きかったんでしょうね。

大学と上京の話

大学進学は確認済み、でも学校名は不明

高校を卒業した後、光石研さんは大学進学のために上京しています。

これは2019年のWebメディア「クランクイン!」のインタビューで本人が「大学進学に伴い18歳で上京した」と語ったことから確認されている情報です。

ただ、進学先の大学名は現在も公表されておらず、不明のまま。

出身高校が東海大学附属なので東海大学への推薦進学の可能性は?

ここは私の考察になるんですが、東海大学付属第五高校には東海大学への学内推薦制度があります。

そうなると、光石さんが同系列の東海大学に進学した可能性はゼロじゃないと思うんですよね。

東海大学は東京都渋谷区に本部を置く大学で、18歳での上京というタイミングとも合致します。ただ、あくまでこれは私の推測であって、確認できている情報ではありません。

「東海大学出身」と断言している情報もいくつか見かけたんですが、公式な情報として確認できないのでここでは「可能性のひとつ」という位置づけにとどめておきます。

大学時代は俳優業と東京生活を同時進行

上京後について光石さんは「東京に強い憧れを抱いていた」と語っていて、レコード屋巡りやライブハウス通いなど、当時流行していたシティボーイ的な生活をけっこう満喫していたようです。

そんな生活の一方で、上京直後に『博多っ子純情』でお世話になった方への挨拶に行ったところ、その場で映画『男はつらいよ』シリーズへの出演が決まったという話も残っています。

エキストラに近い役だったそうですが、それでも上京してすぐにまた映画の現場へ入ることができていたわけですね。

大学をちゃんと卒業したのか、それとも途中で辞めたのかについても現時点では情報がなく不明です。ただ、20代のうちからすでに俳優業に軸足を置いていたのは間違いないと思います。

学歴よりも「現場で掴んだもの」が強い人

成績でも学歴でもなく、偶然と素直さで道を切り開いた

改めて光石研さんの学歴を振り返ると印象的なのは「学歴が武器になっていない」という点です。

デビューのきっかけはケンカの怪我。大学名は非公表。それでも50年近くトップクラスで活躍し続けているわけで、なんというか、「学歴ではない何か」をずっと磨いてきた人だということを実感します。

黒崎という街が演技の土台になっている

小・中・高と過ごした北九州市八幡西区の黒崎は製鉄所を中心に様々な人が行き交う場所でした。光石さんは後のインタビューで「北九州の記憶、黒崎のカオスさが演技の根底にある」と語っています。

漫画家を夢見た少年がやんちゃな中学時代を経て、ケンカの傷跡を絆創膏で隠しながら主演オーディションへ向かう。

大学名すら公表しない淡々とした姿勢とそれでも年々存在感を増していく俳優人生。

そういう人だからこそあの独特のリアリティが出るのかもしれないと、今回調べてみて改めて感じました。

まとめ

  • 小学校は八幡市立黒崎小学校(現:北九州市立黒崎中央小学校)。北九州市八幡西区の黒崎で育ち、モノマネで人を笑わせる子供だった
  • 中学校は八幡市立黒崎中学校(現:北九州市立黒崎中学校)。勉強より自由を優先、演劇大会では北九州弁で観客を沸かせた
  • 高校は東海大学付属第五高等学校(現:東海大学付属福岡高等学校)。偏差値42〜56のサッカー強豪私立校。東海大学への学内推薦制度あり
  • 高校時代の最大の出来事は16歳でのオーディション、ケンカの怪我が逆に主演抜擢のきっかけになった
  • 大学は進学自体は本人のインタビューで確認済みだが学校名・卒業有無ともに非公表
  • 東海大学附属出身という点から東海大学への推薦進学の可能性も考えられるが、確認されていない情報なので憶測の範囲
  • 大学時代から俳優業と東京生活を同時進行させていて、『男はつらいよ』シリーズにも出演
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