この記事を読めばスキージャンプ日本代表・小林陵侑(こばやし りょうゆう)選手が通った小学校、中学校、高校のすべての学歴と大学進学をしなかった理由まで、まるごと把握できます。
「どこの学校出身なの?」
「大学はどうしたの?」
と気になっている方は多いはず。
競技の輝かしい成績の裏に地元・岩手県での堅実な学生生活があったことを、一緒に振り返っていきましょう。
小林陵侑の学歴一覧
まず全体像を整理しておきましょう。
| 学歴 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 小学校 | 八幡平市立柏台小学校 | 岩手県八幡平市 |
| 中学校 | 八幡平市立松尾中学校 | 岩手県八幡平市 |
| 高校 | 盛岡中央高等学校 | 岩手県盛岡市 |
| 大学 | 進学なし(高卒で土屋ホームに入社) | — |
最終学歴は盛岡中央高等学校(岩手県)で日本オリンピック委員会(JOC)の公式プロフィールにもそのように記載されています。
大学に行かずにそのまま実業団へ、というキャリアがいまの彼をつくったんですよね。
小学校時代
八幡平市立柏台小学校とはどんな学校?
小林陵侑選手の出身小学校は岩手県八幡平市にある八幡平市立柏台小学校です。
八幡平市ってどこか知ってますか?岩手県の北部に位置する山間の自治体で、冬は雪がどっさり積もる、いわゆる豪雪地帯。
標高も高くてスキー場が身近にある環境です。
そういう土地だから、子どもたちにとってスキーはわりと「当たり前の習い事」みたいな感覚なのかもしれません。
柏台小学校は八幡平市の山間部にある小規模な学校で地域に根ざした学校という印象です。全校生徒数はそれほど多くなく、のびのびした環境で育った感じがします。
正直、この学校について詳細な情報はあまりオープンになっていないんですが。
あくまで想像だけど、スキーがさかんな地域の学校なので、体育の授業にスキーが組み込まれていたり、冬のスポーツに触れる機会が都市部の小学校よりずっと多かったんじゃないかなと思います。
スキーとの出会いが早すぎる
ここがちょっと驚いたんですよね。
3歳でミニスキー、5歳でスキーを開始、そして小学3年生のときにジャンプ板を初めて履いたというのが、スキージャンパーとしての出発点だそうです。
3歳ってもうほぼ歩けるようになった頃じゃないですか。それでもうスキーを。
父親がスキー指導者で兄の潤志郎・姉の諭果・弟の龍尚もスキージャンパーというスキー一家に生まれたことが、この早熟な出会いの背景にあります。
個人的には「環境が人をつくる」の典型例だと思っていて。才能はもちろんあったとしても、3歳からスキーができる環境にあったこと自体がすでにひとつのギフトですよね
都会生まれだったら、たぶん違う未来があったんじゃないかなという気もして。

中学校時代
八幡平市立松尾中学校とはどんな学校?
中学校は地元の八幡平市立松尾中学校に進学しています。
柏台小学校と同じ八幡平市の公立校で、おそらく地元の同級生たちとそのまま持ち上がった感じでしょう。
松尾中学校も詳しい情報が表に出てくる学校ではないんですよね。
ただ八幡平市はスポーツ振興に力を入れている自治体で、市の公式サイトを見てもスキー関連の記事が充実しています。
そういう土台があるなかで、松尾中学校のスキー部もわりと環境が整っていたんじゃないかなと想像しています。
全国中学校スキー大会で歴史的な2冠
これはかなりすごい話なんですが、2012年2月に北海道名寄市で開催された第49回全国中学校スキー大会で、中学3年生の小林陵侑選手がスキージャンプとノルディック複合の2種目を制覇しています。
岩手県勢として初、しかも大会史上2人目(当時)という記録。
…これ、客観的にはものすごいニュースなんですけど、なんか「そうか2冠か、すごいな」って2行で終わらせたくなる自分もいて笑。でも中学3年生って15歳ですよ。15歳で全国大会2種目制覇って、まあ普通じゃないです。
ちなみに複合(ジャンプ+クロスカントリー)にも出ていたというのが個人的には気になっていて。
高校以降はジャンプ一本に絞るわけですが、中学時代は複合選手としても全国トップレベルだったというのは、体力的なポテンシャルの幅広さを感じさせますよね。
高校時代
盛岡中央高等学校はスキー競技の名門校
高校は岩手県盛岡市みたけにある私立・盛岡中央高等学校に進学しています。
ここはけっこう説明しがいのある学校で。
岩手県内のスキー競技においては屈指の強豪として知られていて、北京五輪で金・銀メダルを獲得した小林陵侑選手と兄・潤志郎選手がともに卒業しています。
岩手県高等学校スキー大会での男子総合優勝を複数回記録しているなどスキー部の実績は県内トップクラスです。
盛岡市みたけという立地は八幡平市から見ると「都会」になるわけで。地元の小規模な公立校から、県庁所在地の私立スポーツ名門校へ。
ここが小林陵侑選手にとって本格的に全国・世界を意識し始めた場所だったんじゃないかなと思います。
どのコースに在籍していたのか?
盛岡中央高校には偏差値66程度の特進選抜SZコースから、偏差値40前後の総合進学Bコースまで複数のコースが設置されています。
これについてはスポーツ選手の場合は総合進学B(スポーツ系)への在籍が一般的、という話がいくつかのサイトで紹介されています。
ただ、小林陵侑選手がどのコースに在籍していたかは公式情報として明示されていないので確定的なことはわかりません。
肌感で言うとジャンプの練習に全力を注ぐ生活を送っていたはずなので、スポーツ優先のカリキュラムを組みやすいコースにいたんじゃないかなという気はしますがあくまで想像です。
国体での活躍と複合からジャンプ一本への転換期
高校時代はすでに国内大会で存在感を発揮していて国体への出場などで実績を重ねていきます。
そして、ノルディック複合にも出場していた時期からジャンプ一本に絞ったのは、高校卒業後に土屋ホームへ入社してからのことだそうです。
この決断、地味に大きなターニングポイントだと思っていて。複合でも全国トップレベルだったのに、あえてジャンプに特化した。その選択が後のW杯30勝超えにつながっているとしたら、人生ってわからないですね。
高校卒業後の進路
大学に行かなかった理由を考察してみる
多くのアスリートが大学でさらに4年間競技を続けるなか、小林陵侑選手は高校卒業と同時に大学へは進学せず、2015年4月に土屋ホームスキー部へ入社しています。最終学歴は盛岡中央高等学校卒業です。
なぜ大学に行かなかったのか。これは公式には明言されていないので私なりの考察を書いてみます。
スキージャンプというのは選手としてのピークをどこに置くかがとても重要な競技です。
4年間大学で競技を続けることもできますが世界トップレベルの環境に早く飛び込んだほうが成長が早いという判断があったんじゃないかなと思っていて。
実際、当時の土屋ホームスキー部にはあの葛西紀明選手がいたわけで。
そのそばで練習できる環境を選んだという合理的な判断だったのかもしれません。
土屋ホームから「TEAM ROY」へ
土屋ホームには2015年の入社から2023年3月末まで在籍。2023年4月に退社してプロ転向を宣言し、自身のチーム「TEAM ROY」を設立します。
当時「自分は自分らしく」という言葉でプロ転向の意志を示したと報じられています。8年間所属した実業団を離れ、自分でチームを作るという決断。これもなかなか大胆な選択だと感じました。
その後の活躍は言わずもがな。
2026年のミラノ・コルティナ冬季五輪でも混合団体の銅メダル獲得に貢献し、世界トップのジャンパーとして現役を続けています。
大学4年間を費やさずに世界を獲った選手として、のちの若いアスリートたちのキャリアの参考になるケースだと思います。
まとめ
- 小学校は八幡平市立柏台小学校(岩手県八幡平市)、小3からジャンプ板を履く
- 中学校は八幡平市立松尾中学校、全国中学校スキー大会で2冠(岩手県勢初・史上2人目)
- 高校は盛岡中央高等学校(岩手県盛岡市)、スキー競技の名門校で国内大会実績を積む
- 大学は進学せず、2015年4月に土屋ホームへ入社しプロの道を歩む
- 最終学歴は盛岡中央高等学校卒業(JOC公式情報)

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