この記事を読めば市橋達也が歩んだ学歴のすべて(小学校から大学卒業まで)が時系列でわかります。
両親が医師というエリート家庭に生まれながら、なぜ彼は4浪という遠回りをすることになったのか。
その背景にある期待とプレッシャーの実態も掘り下げていきます。
市橋達也が育った家庭環境
学歴の話に入る前にまず彼がどんな家庭で育ったのかを見ておく必要があります。ここを知らないと、各学校時代の行動の意味が全然ちがって見えてくるので。
医師一家の長男として生まれる
市橋達也は1979年1月5日生まれ。出身は岐阜県羽島市で小学生のころ千葉県から転居してきた経緯があります。
父親は外科医(地域病院の外科部長)、母親は歯科医師、2歳年上の姉も医師という、完全な医療一家の長男なんです。
これ、かなり特殊な環境ですよね。
家族の会話の中に「医療」が当たり前に存在していて将来の選択肢として「医師になる」という方向性が自然と刷り込まれていくような家庭。
個人的にはそういう環境って本人が意識する前から「レール」が敷かれてしまっていることが多くて、それがのちの受験失敗とどうつながっていくのか…正直、ちょっと考えさせられました。
小学校時代 岐阜に転入してきた「ヒーロー」
転校生なのに目立っていた
市橋の小学校時代については通っていた学校名は公式には明らかになっていません。
ただ、家族が千葉県から岐阜県羽島市に転居したタイミングで地元の小学校に転入したとされています。
羽島市は岐阜県南西部に位置する小さな市で、新幹線の岐阜羽島駅があることくらいしか全国的には知られていない、わりと静かな地域です。
そんな町にもともと都市部(千葉)から転校してきた市橋少年は、運動会の徒競走で1位を取るほどの運動能力を見せつけて、近所から「ヒーロー」と呼ばれていたと伝えられています。
なんか、ちょっといい話に聞こえますよね。
学業面でも優秀で、「将来の夢は総理大臣」と公言していたなんて話もあります。
その一方で通知表に「頑張りましょう」という一言を見てその場で破り捨てたという逸話も残っていて、そっちの話のほうが個人的には気になっています。
総理大臣を目指してた子が通知表破るって、どんな精神状態なんでしょうね。
褒められることには慣れてたけど、批判や評価への耐性がなかった。なんて、これはあくまで私の憶測ですが、その後の人生を知っているとちょっとそういう見方をしてしまいます。
中学校時代 羽島市立竹鼻中学校
バスケ副キャプテンで生徒会役員という「完璧な中学生」
中学校は羽島市立竹鼻中学校に進学し、1994年3月に卒業しています。
羽島市立竹鼻中学校は岐阜県羽島市竹鼻町にある公立中学校です。1学年あたり数クラス程度の、地方の一般的な規模の学校で、地域の子どもたちが通う標準的な公立校という印象です。
この時代の市橋は本当にすごくて、バスケットボール部の副キャプテン、生徒会役員、そして学業でも優秀という、絵に描いたような優等生だったみたいです。
同級生の証言では「早朝練習にも積極的に参加していて、明るい性格だった」とのこと。
…要するに今の彼のイメージとはかなりかけ離れた存在だったんですよね。
この時期については大きな問題もなく、普通に「できる子」として過ごしていたように見えます。
それだけに、この後の受験での挫折がいかに本人にとって大きかったか余計に際立って感じてしまいました。
高校時代 岐阜県立羽島北高等学校
地元の公立進学校へ進学
1994年に岐阜県立羽島北高等学校に入学し、1997年3月に卒業しています。
羽島北高校は岐阜県羽島市足近町に所在する公立高校で、偏差値は54前後とされています。
地元ではそこそこ知られた進学校という位置づけで普通科の高校です。決して「難関」ではないですが、国公立大学への進学実績もある、地域の中堅校という感じですね。
在学中は陸上部に所属していて足の速さは学年1位だったと伝えられています。
空手にも取り組んでいて、黒帯を取得したという情報もあります。
絵が得意で生徒会役員も務めていたといい、友人関係も良好だったようです。
理系クラスで医学部を目指す
学業面では理系クラスに所属し、家族と同じく医学部への進学を意識して勉強に打ち込んでいました。
ここが重要なポイントでこの頃はまだ「医師になれる」と本人も周囲も信じていた時期のはずなんですよね。
偏差値54の高校から医学部。というのはかなり厳しい挑戦なんですがでも両親が医師であれば「うちの子なら大丈夫」という空気が家庭内にあった可能性も高くて。
自分の見立てではこの高校時代に「医学部に合格するのが当然」という空気感がすでに形成されていて、それが浪人時代のプレッシャーの下地になっていたんじゃないかと感じています。
大学受験 4浪という長くて重い時間
医学部に4年連続で不合格
高校を卒業してから市橋は医学部合格を目指して浪人生活に入ります。結果は4年連続で不合格。
これって、数字で見ると「4浪」のひとことで終わってしまうんですが、実際の重さは想像を絶するものがあると思います。
毎年「来年こそは」と思って勉強して、また失敗する。その繰り返し。
しかも家族全員が医師で姉も現役か少ない浪人で医師になっているなかで、自分だけが…という状況。
かなり、しんどかったんじゃないかと思います。
横浜国立大学夜間部に入学するも中退
浪人期間中に横浜国立大学の二部(夜間部)に入学したものの、約1年ほどで中退しています。
なお、一部の資料では「都内の私立大二部」という記述もあって、この部分はすべての情報が一致しているわけではありません。
横浜国立大学の夜間部とする情報が複数確認できるので、今回はそれを採用していますが、細かな部分は確実に断定できない点もあることをお断りしておきます。
ただ夜間部に入ったこと自体、「昼間は受験勉強を続けながら」という意図があったのかもしれないですね。
でも結局中退してしまったのは、気持ちの折り合いがつかなかったの、それとも単純に受験に集中したかったのか。そこまでは分かりません。
あくまで憶測ですが、「自分が本当に行きたい大学じゃない」という気持ちは相当強かったんじゃないかと感じています。
千葉大学園芸学部 最終学歴
22歳でようやく入学
4年の浪人と横浜国立大中退を経て2001年4月。22歳のときに千葉大学園芸学部緑地環境学科に入学します。
千葉大学園芸学部は千葉県松戸市に所在する国立大学の学部です。
農学系のなかでも造園・緑地・環境デザインを扱う専門性の高い学部で全国的にも珍しい学科構成を持っています。
偏差値は57〜60前後で、国公立大学のなかでもしっかりとした難易度の学部です。
「医学部を目指していた人が園芸学部に」という流れは一見するとすごく遠い道のりに感じるかもしれません。
でも緑地環境学って理系的な素養が活かせる分野ですし、実は植物や環境デザインへの興味があったのかもしれないとも思います。
まあ、それとも消去法だったのか真相はわかりませんが。
空手同好会と「似顔絵」の話
在学中は空手同好会に所属し、練習前に道場のぞうきんがけを欠かさないほど真面目に取り組んでいたと指導していた名誉教授が証言しています。
それからこれがちょっと気になっているんですが。庭園デザインの研究のために千葉県浦安市のテーマパークに通い、外国人女性に声をかけて似顔絵を描くという行動が大学時代からすでに始まっていたとされているんです。
この時点ではまだ「絵が得意な大学生が外国人と交流していた」という話に見えなくもないんですけど、後の事件を知っている立場から振り返ると…なんとも複雑な気持ちになりますよね。
26歳で卒業、そして就職しなかった
2005年3月、26歳で千葉大学園芸学部を卒業します。
ところが卒業後は定職に就かず、父親所有の千葉県市川市のマンションに住み、毎月十数万円の仕送りを受けながら生活していたとされています。
本人は海外大学院への進学を目指していたとも言われていて、英語の勉強をしていたようです。
でも事件直前の2007年3月には父親から仕送りの停止を通告されていたことも明らかになっています。
「いつか海外へ」という計画があったのかどうか、本当の気持ちはわかりません。
ただ、26歳を過ぎても仕送りで生活し、就職もせず、社会との接点が限られていく生活。それが本人にどう影響していたかは想像に難くない部分もあります。
学歴を時系列で整理する
市橋達也の学歴を表にまとめるとこうなります。
| 時期 | 学校・機関 | 備考 |
|---|---|---|
| 小学校時代 | 岐阜県内の小学校(校名不明) | 千葉から転入 |
| 〜1994年3月 | 羽島市立竹鼻中学校卒業 | バスケ副キャプテン・生徒会役員 |
| 〜1997年3月 | 岐阜県立羽島北高等学校卒業 | 陸上部・理系クラス |
| 1997〜浪人期 | 横浜国立大学二部入学→中退 | 約1年で中退(※情報に一部差異あり) |
| 2001年4月 | 千葉大学園芸学部緑地環境学科入学 | 22歳・4浪の末 |
| 2005年3月 | 千葉大学園芸学部緑地環境学科卒業 | 26歳・最終学歴 |
「4浪」という事実が示すもの
家族の期待と自分の挫折
市橋の学歴でいちばん重要なのは「どの学校を出たか」よりも「医学部に入れなかった」という事実が彼の内面に何をもたらしたかだと、私は思っています。
父が外科医、母が歯科医、姉が医師。
そのなかで自分だけが医学部に合格できなかった。しかも4年連続で。
個人的にはこの「4浪」という経験こそが、彼の自己肯定感や社会との関わり方に一番大きな影を落としていたんじゃないかという気がしています。
千葉大学は国立大学で、客観的には十分な学歴のはずです。
でも「医師にならなければ自分の価値はない」という空気の家庭で育った人間にとってはそれが「失敗」に映ってしまうこともある。
そう考えると卒業後も就職せず、親の仕送りに頼り続けた生活も、ただの怠惰ではなく「自分はどこへ向かえばいいのかわからない」という迷子状態だったのかもしれない。あくまで私の考えですけど。
まとめ
- 市橋達也の出身校は岐阜県立羽島北高等学校(公立・偏差値54)
- 大学受験では医学部を目指すも4年連続不合格、横浜国立大夜間部に一度入学するが中退
- 最終学歴は千葉大学園芸学部緑地環境学科卒業(2005年3月・26歳)
- 父が外科医・母が歯科医・姉が医師という医療一家のなかで自分だけが医師になれなかったという事実が、彼の内面に大きな影を落としていたと考えられる
- 小学校〜高校時代は勉強・スポーツともに優秀で友人も多かったが、大学受験を境に挫折の連続となった
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