この記事を読めば潮田玲子さんの小学校から高校卒業後の進路まで、すべての学歴と各時代のエピソードが一気にわかります。
「オグシオ」として一世を風靡した潮田さんがどんな学校生活の中でバドミントン選手としての土台を作っていったのか、気になっている方も多いのではないでしょうか。
潮田玲子の学歴 一覧で確認
結論からいってしまうと潮田さんの最終学歴は高校卒業です。大学には進んでいません。
| 学歴 | 学校名 | 所在地 |
|---|---|---|
| 小学校 | 非公表(苅田町内の公立校とみられる) | 福岡県京都郡苅田町 |
| 中学校 | 苅田町立新津中学校(公立) | 福岡県京都郡苅田町 |
| 高校 | 九州国際大学付属高等学校女子部 | 福岡県北九州市八幡東区 |
| 大学 | 進学せず(実業団入り) | ― |
いちおう全体像をまず示しましたがこれだけ見てもあまり伝わらないと思うので、時代ごとにもう少し詳しく追いかけてみますね。
小学校時代 バドミントンとの出会いと才能の芽生え
出身小学校は現時点で非公表
正直なところ、小学校の校名ははっきりとした情報が出てきていないんですよね。
潮田さんの出身地は福岡県京都郡苅田町なので、そのまま地元の公立小学校に通っていたんだろうな、というのが自分の見立てです。
ただ確証はないので、その点はご了承ください。
苅田町がどんな場所かというと北九州市の東隣に位置する工業の町。
トヨタ自動車九州の本社工場があったり、日産自動車の九州工場があったりして、意外と産業都市として知られているエリアです。
人口はそこまで多くないんですが、地域のスポーツ環境はそれなりに整っている印象があります。
バドミントン人口が多い地域柄、地元の小学生がクラブに所属しているケースも少なくないみたいで、そういう環境が潮田さんの土台になったのかなと思うとなんか地元の力ってすごいですよね。

2〜3歳でラケット、小1で本格スタート
きっかけはお母さんの趣味だったというのが、私的にはいちばん刺さったエピソードです。
お母さんが地域のバドミントンサークルに通っていて、幼い潮田さんも一緒に連れて行かれていたんだそう。
本格的に習い始めたのは小学1年生のとき。友達に「体験に行かない?」と誘われたのがきっかけだったらしいので、きっかけはめちゃくちゃ普通なんですよ。
それなのに小学2〜3年生になった頃には試合で勝てるようになって、楽しさを感じ始めたというんだから、本物の才能って積み重ねと相性で出てくるんだなと改めて感じます。
1995年には全国小学生大会女子シングルスで全国3位を達成。小学生ですよ、これ。
「辞めてもいい」という親のスタンス
ここが私がいちばん気になったところで、正直しばらく考えてしまいました。
両親は「辞めたかったら辞めていい」というスタンスだったそうで、週4回の練習があっても「お腹が痛い」と仮病を使って休んだこともあったとか。
強制されなかったからこそ本人の中にバドミントンへの愛着が育ったんじゃないかなと自分では思っていて。
あくまで私の仮説ですけど、「やらされている」ではなく「やっている」感覚を幼少期から持てたのが、後の長いキャリアにつながった気がするんですよね。
全国3位という結果だけ見ると華々しいですが、その裏にこういうゆるさもあったというのが、なんか人間らしくて好きです😊

中学校時代 全国タイトルと運命の出会い
出身中学は苅田町立新津中学校
潮田さんが進んだのは地元の公立中学校・苅田町立新津中学校です。
地元エリアの学区内の学校で、特別な受験や選抜があるわけではなく、いわゆる地元の普通の公立中学校。バドミントン部があり、そこに所属しながら競技を続けていきました。
「普通の公立中学から全国制覇」という流れ、案外こういうパターンって多いんですよね。
私立の強豪校に早々と引き抜かれるのではなく地元の学校でしっかり基盤を作ってから進学する、というキャリアの積み方がよく伝わります。
中3で全国制覇
中学3年生で全国中学校選手権大会の女子シングルスで優勝しています。この段階でもう全国一位。
すごい。ただそれだけ。
正直ここで「あ、やっぱり次元が違うな」ってなりますよね。
しかも公立中学所属でそれを達成しているので、設備や環境が恵まれていたわけでもないと思うんですよ。
自分の見立てでは地元のクラブや中学の顧問に良い指導者がいたんじゃないかなとも思うんですが、そのあたりの詳細は確認できていません。
小椋久美子との運命的な出会い
これはちょっと本当に気になっていた話です。
後に「オグシオ」として大ブームを起こすことになる小椋久美子さんと出会ったのがこの中学時代。
ジュニアナショナルチームの合宿でたまたまペアを組まされたのがきっかけといわれています。
しかも組まれた初日か翌日には当時のダブルス1番手ペアに勝ってしまったというんだから、その「たまたま」感がすごくないですか😲
「運命的」という言葉を安易に使いたくはないんですけど、まあ実際そうとしか言いようがないというか。出会い方がドラマすぎる。
ちなみに中学時代の終わりごろに身長が一気に165cmまで伸び、体重も6〜7キロ増えたと本人が語っています。
このいわゆる「成長期の体の変化」が、高校進学後のプレーに影響したそうでそのあたりのリアルな苦労話については次で触れます。
高校時代 バドミントン推薦で名門校へ
出身高校は九州国際大学付属高等学校女子部
バドミントンの推薦で福岡県北九州市の私立・九州国際大学付属高等学校女子部に入学しています。2002年卒業。
この学校、バドミントンの世界ではかなり知られた強豪校です。
正式名称は「九州国際大学付属高等学校」で学校法人九州国際大学が運営する私立高校。1956年に創立された学校で、北九州市八幡東区にあります。
硬式野球部が春夏合わせて複数回の甲子園出場を誇るなど、もともとスポーツに力を入れている学校で、バドミントンもその一つ。
潮田さんが在学していた当時は男女別学制(男子部・女子部)でしたが2010年度から共学化されています。
学校の偏差値はそこまで高いわけではなくスポーツ推薦での入学者が多いタイプの学校という印象です。
とはいえ「スポーツだけやっていればいい」という雰囲気でもなく、九州内での進学実績も出しています。
まあ、細かくは検証していないんですけどスポーツ系私立として比較的オーソドックスな構成の学校かなと。
高校1年生の苦悩と挫折感
ところが、名門校に入ったにもかかわらず高校1年生のインターハイでは思うような成績が出せなかったそうです。中学時代の体の急成長が原因でプレーのバランスが崩れていたといわれています。
本人は「自分のピークは終わったかもしれない」とまで感じていたと語っていて、正直この話、すごくリアルだなと思いました。
全国チャンピオンになった子がそんな気持ちになるんだという驚きもありつつ、だからこそ人間らしさを感じるというか。
成功の後にスランプがくるのはアスリートに限った話じゃないとは思いますけど、ナショナルクラスの選手でもそうなんだというのは、なんか励まされるような気がします。
高校2〜3年生での復活と快進撃
その後の回復がこれまた早い。
高校2年生のときに全日本ジュニアバドミントン選手権大会女子シングルスで優勝し、ユース代表にも選ばれています。
1年で立て直してきたわけでそのメンタルの強さは想像以上というか、1年前に「ピークが終わった」と思っていた人間と同一人物か?というくらい。
高校3年生になると小椋さんとのペアでオランダジュニアとドイツジュニアで準優勝、さらにアテネオリンピックへの特別強化指定選手にも選ばれています。高3ですよ、これ。
アテネというのは2004年なので、卒業の約2年前の時点でオリンピック強化候補になっていたことになります。
余談ですけど修学旅行で北海道に行った際に、自由行動の日に現地の実業団チームと合同練習をしたというエピソードがあって、これが個人的に刺さりました。
観光そっちのけで練習。
なんかそういう姿勢の積み重ねが後の実績につながるんでしょうね。
大学に進学はせず、実業団の世界へ
「大学に行きたい」という気持ちもあった
実は潮田さん、高校卒業後の進路として大学進学も考えていたそうです。
「キャンパスライフを楽しみながらバドミントンができたら」というイメージを持っていたと語っていて、それはわりと普通の高校生らしい考えだなと思いました。
でも、在学中にどんどん結果が出てしまったこと、ユース代表への選出やオリンピック強化指定選手という肩書きがついてきたことで、「のんびり大学生をしている場合ではない」という流れになっていったんでしょうね。
あくまで私の考えですがここで実業団を選んだのは、本人の意思というより「時代の流れに乗った」という側面も強いんじゃないかなと思っています。
三洋電機への入社、そして「オグシオ」の誕生へ
小椋さんから「一緒にやろう」と誘われ、2002年に実業団チームの三洋電機(後のNECレッドロケッツの前身ではなく、当時のバドミントン強豪チーム)に入社しています。このとき2人とも18歳。
ここから北京オリンピック(2008年)、ロンドンオリンピック(2012年)への出場へとつながっていくわけで、「大学に行かなかった選択」がいかに大きかったかは言うまでもないですよね。
とはいえあの時大学に行っていたらどうなっていたか、というのは想像しても仕方ないというか、でもちょっと気になったりはします😅
まとめ:潮田玲子の学歴ポイント
- 小学校は苅田町内の公立校とみられるが校名は非公表
- 中学校は地元公立の苅田町立新津中学校、中3で全国制覇
- 高校はバドミントン推薦で九州国際大学付属高等学校女子部(2002年卒業)
- 大学への進学は行っておらず、卒業後は実業団・三洋電機へ入社
- 最終学歴は高校卒業
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