奥田瑛二さんの学歴について調べていくと出身高校や大学の名前だけじゃなく学校ごとの雰囲気とか、なぜその進路を選んだのかという背景までけっこう深く掘れる話がいろいろ見つかったんです。
この記事を読めば奥田瑛二さんが通った小学校中学校高校大学の詳細と、それぞれの学校がどんな場所だったのか、そして進路の裏にあった家族との駆け引きまで、まるっと理解できると思います。
俳優としての顔しか知らなかった人ほどけっこう驚く内容かもしれません。
出身小学校と中学校は地元愛知の公立校
まず小中学校の時点から奥田瑛二さんの人生にはちょっとした転機がありました。有名な映画俳優への憧れが生まれたのも、実はこの時期なんですよね。
春日井市立高座小学校時代のエピソード
奥田瑛二さんは1950年3月18日、愛知県東春日井郡高蔵寺町、今の春日井市で生まれていて、地元の春日井市立高座小学校に通っていました。
この小学校がある高蔵寺エリアは、JR中央本線の高蔵寺駅から歩ける距離にある、比較的落ち着いた住宅地なんです。
小学5年生のときに大友柳太朗さん出演の映画『丹下左膳』を観たことが俳優を志すきっかけになったと言われていて、これって今でいうと子どもがYouTubeで推しの動画を見て将来を決めるくらいの衝撃だったのかなと、個人的には想像しちゃいます。
当時は夜尿症で悩んでいたというエピソードも残っていて、正直そこまで詳しくは分からないんですが繊細な少年時代だったのかもしれません。
春日井市立高蔵寺中学校での野球部生活
小学校を卒業したあとは同じ校区内にある春日井市立高蔵寺中学校に進学しています。
この中学校は1947年に高蔵寺町立高蔵寺中学校として創立されて、1958年の市への編入にあわせて今の名前になった、地域では歴史のある学校なんです。
役者になるには体格を鍛える必要があると考えて野球部に入ったそうなんですが中学卒業時点での身長はまだ152センチメートルだったという記録があります。
うーん、この時点だとまだ体格面での成長は追いついていなかったんだなという感じですね。
ちなみに校訓には「自学自習」や「心身を鍛え」といった言葉が掲げられていてなんとなく奥田さんの後の努力の姿勢とリンクしている気がしなくもないです。
これはあくまで自分の勝手な連想なのでそこはご了承ください。
出身高校は名古屋の名門東邦高等学校
中学卒業後に選んだ進路が愛知県内でも知られた私立校でした。この高校での部活動が身体面でものすごく大きな変化をもたらしています。
東邦高等学校というのはどんな学校か
奥田瑛二さんが進学した東邦高等学校は名古屋市名東区にキャンパスを持つ私立高校です。
偏差値はおおよそ49から60くらいの範囲で紹介されていて、進学実績としては国立大学への合格者が毎年一定数いるほかGMARCHや関関同立クラスへの合格者も出している、けっこうしっかりした進学校寄りの学校みたいです。
奥田さんが在籍していた時代の詳しい入試難易度までは分からないんですが今の実績を見ても地元でそこそこ名前の通った学校だったんだろうなと推測しています。
ラグビー部での経験と驚きの身長変化
東邦高校時代、奥田さんは男子校の環境でラグビー部に所属していました。
ここが個人的にすごく気になるポイントなんですけど、中学卒業時に152センチメートルだった身長が、高校でラグビーを始めてから173センチメートルまで伸びたと言われているんです。
えっ、それって21センチメートルも伸びたってことですよね。
正直これだけ短期間で伸びるのは珍しいというか、成長期のタイミングとラグビーというハードな運動がうまく重なった結果なのかなと勝手に想像しています。
この一件だけでも学生時代の部活選びが後の俳優としての体格づくりにつながったんじゃないかなと思えて、地味に一番おもしろいエピソードだったりします。
ちなみに東邦高校には俳優の伊武雅刀さんが1学年上にいたほか、プロ野球選手として活躍した山田勝彦さんや山倉和博さんも後輩として在籍していたそうでなんとなく芸能とスポーツ両方に強い学校だったのかもしれません。
高校卒業前に起きた父親との駆け引き
高校卒業を控えたころ、奥田さんは上京して俳優を目指したいと考えるようになりました。
ところが父親の安藤豊さんは春日井市議会議員を務めていて、俳優志望をそのまま伝えたら間違いなく反対されるだろうという状況だったんですよね。
そこで「政治の勉強をするため」と説明して大学進学の形をとり、なんとか上京の許可を得たと言われています。
これ、ただの建前じゃなくて結構リアルな駆け引きだったんじゃないかなと感じています。
今の時代だと親に本音を隠して説得するのはちょっと気が引ける気もしますが当時の家庭環境を考えるとそれしか道がなかったのかもしれませんね。
大学は明治学院大学法学部に進学するも中退
上京後に進学したのが東京の私立大学でした。ただしここは卒業ではなく中退という結末を迎えています。
明治学院大学法学部はどんな学部か
奥田さんが進学した明治学院大学は東京都港区の白金キャンパスと神奈川県横浜市の横浜キャンパスを持つ、1949年に設立された大学です。
もともとはジェームス・カーティス・ヘボンが1863年に開いた英学塾を起源とする、日本で最も古いミッションスクールのひとつなんです。
法学部の偏差値は50.0から57.5くらいの範囲で示されていて、学科によって多少幅があるみたいです。
「Do for Others」を教育理念に掲げていて社会貢献の意識を育てる方針の大学だそうなんですが、奥田さんが在学していた当時の理念や難易度がどうだったかまでは、正直はっきりとは分からないですね。
議員秘書との二重生活を送っていた大学時代
大学に入学したあと奥田さんは父の伝手で衆議院議員だった丹羽兵助さんの秘書を務めることになり、その自宅に住み込んで書生生活を送りながら大学に通っていたとされています。
大学では演劇部にも顔を出していて当時は後にジャーナリストとして知られるようになる辺真一さんも先輩部員として在籍していたという記録があります。
議員秘書という肩書きと大学生という立場、そして演劇への思いを同時に抱えるって、想像するだけでもかなり忙しい日々だったんだろうなと思います。
正直、自分だったらどれかひとつだけでもキャパオーバーになりそうです。
中退を選んだ理由と俳優への転身
大学生活を続けるなかで議員秘書としての本分と俳優への夢とのあいだで自分の進む道に悩み、最終的に出奔して大学も中退することになったとされています。
その後改めて俳優を志願していくつかの劇団の試験を受けようとするものの、タイミングが合わずに断念してしまいます。
そこから東邦高校の先輩でもあった俳優の天知茂さんに師事して、約2年間付き人を務める時期があったそうです。この付き人時代を経て、1976年に特撮番組『円盤戦争バンキッド』でついに俳優デビューを果たしています。
正直、中退っていうと世間的にはあまり良い印象を持たれないことも多いと思うんです。「大学出てないの?」って心配されそうな展開ですよね。
でも奥田さんの場合、この中退こそが俳優人生の始まりだったわけで、学歴の有無だけで人の可能性を測るのはもったいないんじゃないかなとこの経歴を調べていて強く感じました。
むしろ自分のやりたいことに正直だったからこそ、あの中退というタイミングが訪れたんだろうなと思います。
学校選びから見えてくる奥田瑛二という人物
ここまで見てきた学歴の流れを振り返るとけっこう一貫したものが見えてくる気がします。
- 出身小学校は春日井市立高座小学校で俳優を志すきっかけとなる映画に出会った場所
- 出身中学校は春日井市立高蔵寺中学校で野球部で身体づくりを始めた時期
- 出身高校は東邦高等学校でラグビー部を通じて身長が大きく伸びた時期
- 出身大学は明治学院大学法学部で議員秘書との両立生活の末に中退という結末
- 中退後の紆余曲折を経て1976年に俳優デビュー
学歴だけを並べると一見普通の進学ルートに見えるんですけど、実際にはそのひとつひとつに家族との駆け引きや体格面の変化、そして最終的な進路転換のドラマが詰まっていたんですよね。
個人的には東邦高校でのラグビー部エピソードと、大学中退という選択の背後にあった心の動きが特に印象深かったです。
学歴というのは単なる通過点であってそこでどう過ごしたか、どう悩んだかのほうがずっと大事なんだろうなと、今回調べていて改めて感じました。
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