阿木燿子の学歴一覧 小学校から大学中退、まさかの復活劇まで完全網羅

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作詞家の阿木燿子さんについて学歴を調べてみようと思ったきっかけは、正直ちょっとした好奇心でした。

あんなに繊細な言葉を紡ぐ人って、どんな学生時代を過ごしていたんだろうって、ずっと気になっていたんですよね。

調べ始めてすぐに分かったのは阿木さんの学歴、単純に「良い学校を出た」で終わる話じゃないんです。

中退という選択があって、そこから何十年も経って特別卒業認定を受けるという、なかなか珍しい流れがありました。

今回はその一つひとつを私が実際に調べて感じたことも含めて、じっくり書いていこうと思います。

目次

小学校時代は横浜の公立校だった

まず結論からいうと阿木さんの出身小学校は横浜市立生麦小学校だったようです。

長野県長野市生まれではあるものの、幼少期からは横浜で育っていて、この地元の公立校に通っていたと言われています。

生麦小学校ってどんな学校?

調べてみると生麦小学校は神奈川県横浜市鶴見区にある公立小学校で、創立は大正13年なので、かなり歴史のある学校でした。

教育目標には「元気、勇気、夢いっぱい」というフレーズが掲げられていて、地域とのつながりを大事にする校風みたいですね。

学年をこえたたてわり活動やペア活動があるのも特徴で令和6年時点での児童数は339人ほど、決して大規模校ではないですが地域密着型のあたたかい雰囲気を感じます。

京浜急行の生麦駅から徒歩7分という立地で鶴見区の生麦という港に近いエリアにあります。

個人的にはこの港町の空気の中で育ったことが、のちに「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」みたいな海や港を舞台にした名曲を書く土台になったんじゃないかなと、勝手に想像してしまいました。

もちろんこれは私の憶測でしかないのでその点は割り引いて読んでくださいね。

中学高校は捜真女学校で6年間

小学校を卒業したあと阿木さんは私立の捜真女学校中学部に進学し、そのまま高等部にも内部進学しています

捜真女学校はどんな学校なのか

捜真女学校、正式には捜真女学校中学部・高等学部という名称で横浜市神奈川区にあるキリスト教系の女子校です。

創立は1886年、米国の宣教師によって英和女学校という名前で始まったそうで、かなり歴史が古い学校なんですよね。1892年に捜真女学校と改称して、1910年に現在の場所へ移転しています。

戦争で一度は全校舎が焼失してしまったものの、その後再建されて今に至っているというのも、地味に驚いたポイントでした。

バプテスト派の宣教師が創立に関わっていることもあって、キリスト教の教えをベースにした教育方針を持つ、いわゆるミッションスクールということになります。

規律がしっかりしている学校として知られていて阿木さん自身も後年、当時の校風について息が詰まるくらい厳しかったと振り返っているようです。

中学高校時代は部活には入らず帰宅部を選んでいて、こっそりアルバイトをしてお小遣いを稼いでいたというエピソードも伝わっています。

真面目な学校生活を送りつつも、どこかで自分なりの自由を確保していたんだろうなという感じがしますね。

こういう厳格な環境で6年間を過ごしたことがのちに大学で一気に自由な空気を吸い込んだときの反動につながったんじゃないかなと思うんです。

あくまで私の仮説ですけど規則で固められた学校生活の後だからこそ、軽音楽部での出会いがより鮮烈な体験になったのかもしれません。

大学は明治大学文学部、そしてまさかの中退

ここからが本題というか阿木さんの学歴の中で一番ドラマチックな部分だと思っています。

1964年、阿木さんは明治大学文学部史学地理学科に入学しました。

明治大学文学部史学地理学科の特徴

史学地理学科は日本史学専攻、アジア史専攻、西洋史学専攻、考古学専攻、地理学専攻という5つの専攻に分かれている学科で和泉キャンパスで1、2年生の授業が行われるそうです。

学生の口コミを見ていると専攻ごとに時代別の研究室があって、資料に実際に触れながら勉強できる環境が整っているみたいですね。

就職については学んだ内容を直接活かせる職種が少ないという声もありました、逆に言えば幅広い教養を身につけられる学科だったんだろうなと感じました。

明大前という立地も良くて新宿や渋谷、下北沢など遊びに行きやすい場所へすぐアクセスできるのも魅力だったみたいです。

阿木さんが学生時代にどんな授業を受けていたかは正直分からないんですが、こういう歴史や地理を学ぶ環境が、後の作詞活動における物語性の豊かさに影響しているのかもしれないなと。

軽音楽部での運命的な出会い

大学に入って阿木さんが選んだのは軽音楽クラブでした。ここで、同学年で法学部に在籍していた宇崎竜童さんと出会うことになります。

宇崎さんは校門で新入部員を勧誘していたときに阿木さんを見かけて、「あ、嫁さんになる人が来た」と一瞬で感じたと本人が語っていたらしいんです。

この話、聞いた瞬間ちょっと笑ってしまったんですが、同時にすごくロマンチックだなとも思いました。

二人はその後1971年に結婚し、宇崎さんの作曲に阿木さんが詞をつけるという黄金コンビとし、数々のヒット曲を世に送り出していくことになります。

大学の軽音楽部というとサークル活動の延長線上みたいなイメージがあるかもしれませんが、阿木さんにとってはここが人生を変える場所になったわけですよね。

学歴という枠だけで見るとただの「所属していたクラブ」で終わってしまいそうな話ですが、実際にはキャリアの原点だったと考えるとなかなか重みのある出来事だなと感じます。

単位不足で中退、音楽活動を優先した選択

阿木さんは大学4年次までに123単位を取得していたそうなんですが、卒業論文を含む10単位が足りていなくて、結果的に卒業を断念する形になりました。

正直、123単位まで取っていたのなら、あと少しで卒業できたんじゃないかと思ってしまうんですが、当時は音楽活動が本格化していた時期でもあって学業よりも表現者としての道を選んだんだろうなと想像しています。

この判断、今の時代の価値観からすると「もったいない」と感じる人もいるかもしれません。

でも、結果としてあれだけの数のヒット曲を生み出したことを考えると、あの時の選択は間違っていなかったと言えるんじゃないでしょうか。

正直に言うとこの中退のエピソードを知ったとき、けっこう驚きました。だって、あれだけ知的で言葉選びが洗練された人なのに、大学は卒業していないという事実、なんだか意外だったんです。

2008年に受けた特別卒業認定という異例の出来事

そして、ここからが本当に面白い部分だと思うんですが、2008年7月、明治大学は阿木さんに特別卒業認定証を授与しています。単位不足での中退から40年以上が経ってからのことでした。

この特別卒業認定、2004年のビートたけしさんに次いで2人目という、かなり異例の扱いだったようです。

作詞家、作家、プロデューサーとして長年にわたって積み上げてきた実績が、正式に大学から評価された形になります。

ちなみたけしさんも明治大学工学部を中退していて、その後にタレントとして名を成したことで同様の認定を受けているので、なんとなく似た構図を感じますよね。

この件について私が思うのは学歴というのは「卒業したかどうか」だけで判断できるものじゃないんだなということです。

中退した時点では未完成だった学びがその後の人生の積み重ねによって、形を変えて完結するケースもあるんだなと、ちょっと感慨深いものがありました。

学歴の流れから見えてくる阿木燿子さんの人物像

一連の学歴をたどってみる、規律の厳しい環境から一転して自由な大学生活に入り、そこで運命的な出会いを経て、学業よりも表現の道を選んだという、けっこう波のある流れが見えてきます。

厳格な女子校から自由な大学へのギャップ

捜真女学校での6年間は規則に縛られた真面目な学生生活だったようです。

そこから明治大学という都心の大学に進学し、軽音楽部という自由な空間に飛び込んだわけですから、そのギャップはかなり大きかったんじゃないかなと思います。

こういう環境の変化が阿木さんの中に眠っていた表現への欲求を一気に引き出したんじゃないかなと、私は勝手に想像しています

もちろんこれは本人が明確に語っている内容ではないので、あくまで一つの見方として受け取ってもらえたらと思います。

中退という選択が示す意外な真実

一般的には大学を中退することはキャリアにとってマイナスに働くと考えられがちですよね。

でも、阿木さんのケースを見ていると、必ずしもそうとは言えないなと感じます。

むしろ、学業に固執せずに音楽活動へ全力を注いだからこそあれだけの実績を積み上げられたんじゃないでしょうか。

要するに学歴というのはあくまでスタート地点であって、そこからどう歩んでいくかが本当に大事なんだろうなと、今回の調査を通じて改めて感じました。

特別卒業認定という形で最終的に評価されたことを考えると遠回りしたようで実は一番まっすぐな道だったのかもしれません。

まとめ

阿木燿子さんの学歴を振り返ってみると次のような流れになっていました。

  • 横浜市立生麦小学校を卒業して公立校からスタートしている
  • 捜真女学校中学部・高等学部で6年間、規律の厳しい環境で過ごしている
  • 明治大学文学部史学地理学科に進学し、軽音楽部で宇崎竜童さんと出会っている
  • 単位不足で大学を中退したものの2008年に特別卒業認定を受けている

正直、今回この学歴を調べていく中でただの経歴の紹介では終わらない、人生の選択の物語みたいなものを感じました。

学歴って卒業した学校名だけを並べるものじゃなくて、その裏にある選択や出会いまで含めて理解するともっと人物像が見えてくるものなんだなと改めて実感した次第です。

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