この記事を読めば柿澤勇人(かきざわはやと)さんの小学校から大学卒業までの学歴と、サッカー少年がどうやってミュージカル俳優に転身したのかが全部わかります。
調べてみたんですけど、柿澤さんの学生時代って想像以上にドラマチックなんですよね。
ただ「いい学校に通ってた」という話じゃなくて、夢を持ち、挫折してまた方向転換して、それでもちゃんと大学まで卒業するっていう。なんか、読んでいるうちに思わず応援したくなりました。
出身小学校は成城学園初等学校
幼稚園から私立のお受験ルート
柿澤勇人さんが通っていた小学校は成城学園初等学校(東京都世田谷区祖師谷)です。
成城学園は幼稚園から大学まで一貫して通える私立の共学校で、柿澤さんはなんと幼稚園の段階からこの成城学園に在籍していたことが本人のインタビューからわかっています。
インタビューで「幼稚園から入れてもらった学校が、本来ならエスカレーター式で大学まで行けるところだったんです」とご本人が語っているので、これはほぼ確実です。
4歳上のお兄さんの影響でサッカーを始める
小学校時代にすでにサッカーに熱中していて、そのきっかけは4歳上のお兄さんだったそうです。
兄のプレーを見ていたら自分もやりたくなって……っていう、ありがちなようでいて、この弟の場合は「ありがち」じゃ全然終わらなかったわけですが(笑)。
ちなみに、成城学園という環境は芸能人の子息が多いことでも知られていますね。
木村佳乃さんも成城学園の出身だったりします。
そういった場所で育ちながら、柿澤さんはひたすらサッカーボールを追いかけていたっていうのがなんかいいなと思います。
出身中学校は成城学園中学校
成城学園のエスカレーターで進学
小学校からそのまま成城学園中学校(東京都世田谷区成城)へと進学しています。
偏差値は57前後で、学力的には「中の上」くらいの位置づけですね。主な卒業生には及川光博さん、山口もえさん、鶴田真由さんなどがいます。
成城学園中学校を卒業すれば、そのまま系列の成城学園高校(偏差値64)を経て成城大学まで進むルートが普通にあった。
なのに柿澤さんはそのルートを捨てて別の高校を受けたわけで…その選択だけで「この人、やっぱりただ者じゃない」って感じました。
東京都選抜に選ばれるほどの実力
これがけっこうすごい話なんですよね。中学時代には東京都選抜のメンバーに選ばれたことがある、という情報がインタビューで語られています。
クラブチームにも在籍して、学校の活動と並行して本格的にサッカーに打ち込んでいたようです。
都選抜って東京都内の中学生の中でもトップクラスに実力がある選手だけが選ばれるものですよね。
その実力でも「プロには届かなかった」という高校時代の話が、後々じわじわ刺さってくるんです。
ジャニーズにスカウトされていた(が本人は覚えていない)
これ、余談なんですが……中学時代にジャニーズ事務所のスタッフから声をかけられていたそうなんです。
でも柿澤さん本人はスカウトされたことを「全く覚えていない」とのこと。当時はプロサッカー選手しか頭になかったでしょうから、まあそれはそうか、という感じですね。
出身高校は都立駒場高校(保健体育科)
成城学園を出てサッカー強豪の都立へ
高校は東京都立駒場高校(東京都目黒区大橋)の保健体育科に進学しています。
私立の成城学園から、あえて都立高校への進路変更。これはひとえにサッカーのためです。
1905年(明治38年)開校という歴史のある公立高校で、もともとは「東京府立第三高等女学校」という名前でした。
加藤登紀子さん、吉永小百合さん(転校)、Snow Manの阿部亮平さんなどを輩出している名門校です。東京の都立高校だけで186校ある中で、普通科の偏差値は68と上位をキープしている進学校でもあります。
ちなみに、ホリプロの公式プロフィールには「名門・都立駒場高校に推薦で入学するほどの実力だった」という記載があります。
一方で「一般入試で進学した」とする情報もあって、ここは正直どちらが正しいのか判断が難しいんですが…公式プロフィールに「推薦」と書いてあるほうを優先して信頼するのが妥当じゃないかなと個人的には思っています。
4軍スタートという現実
都選抜に選ばれた実力を持ってしてそれでも入学当初は4軍からのスタートだったそうです。本人のインタビューの言葉がかなりリアルで、
「そこには200人もいて、試合に出られるのは11人。僕は4軍スタートで、自分はうまいと思って入ったのに、自分よりうまいやつが100何人もいる。現実を思い知って将来どうしようかと考えていた」
と語っています。
スポーツの世界ってそういうものというか「自分はすごい」と思って入った場所でさらに上の壁が現れる、っていう体験。
これをしたことで柿澤さんは「努力しても必ずしも報われるとは限らない」という感覚を早い段階で身につけたんじゃないかなという気がします。

ライオンキングとの運命の出会い
そして、高校1年生のときに人生が動きます。
課外授業で劇団四季のミュージカル「ライオンキング」を鑑賞して、強烈な衝撃を受けたんですね。
公演が終わった直後、担任の先生に「シンバをやりたい!」と口から出てしまったそうです。
担任の先生の反応は「バカじゃないの?」という感じで(笑)、その後もずっと「現実を見ろ」と言われ続けたとか。
でも高校3年間はミュージカルのレッスンは一切しなかったというのも大事なポイントです。
「プロサッカー選手にはなれないかもしれないけど、全国高等学校サッカー選手権大会に出ることがまず夢だったので、そこに向かってチームメイトと頑張ろう、と。だから高校3年間は一切、ミュージカルのレッスンはしてないんですよ」
心の中ではミュージカルへの憧れが芽生えていたのに、目の前のサッカーにきちんとケリをつけようとした。
なんか、この律儀さが今の俳優・柿澤勇人に通じているような気がして個人的にはここが一番好きなエピソードかもしれないです。
出身大学は首都大学東京(現・東京都立大学)
「ちゃっかり勉強してた」で指定校推薦をゲット
家族にはサッカーへの反対と同様、ミュージカルへの転向も猛反対されました。
そこで柿澤さんが家族に提示した条件が「大学には進学する」というもの。
それを守るために、保健体育科にいながらもしっかり勉強して首都大学東京(現・東京都立大学)の指定校推薦を獲得したんです。
ご本人は「ちゃっかり勉強してたので(笑)」と笑い話のように語っていますが、体育系の学科に在籍しながら指定校推薦を取るって、成績の維持がかなり大変だったはずです。
人文社会学部人文学科、専攻は表象言語。偏差値60の公立大学です。
ちなみに2020年以降は「東京都立大学」に改称されていますが、柿澤さんが入学した2006年当時は「首都大学東京」という名前でした。
本人もSNSで「どこ卒業したの?と聞かれるたびに『とりつだい』って答えてた」と書いていて、「かっきー大学行ってたの?!」ってよく驚かれてたそうです(笑)。
我が出身校☺︎
— 柿澤勇人&STAFF (@kakizawa_hayato) August 24, 2018
「どこ卒業したの?」
と聞かれたら
いつも
「とりつだい」
と答えてました。すいません。
てか。
その後、大体
「かっきー、大学行ってたの?!」
って言われてた。
おーい。なんでやねーん。 https://t.co/oG1NAtzQ5W
入学当日に休学願をもらったという衝撃の行動
ここが柿澤さんの学歴で一番驚いたポイントです。
大学に入学したその日に、休学願をもらいに行った。
本人がSNSで自ら発信しています。
「僕は大学入学したその日に休学願を貰って笑。夜はバイトしながら舞台芸術学院に通ってた。誰よりも早く入ってピアノ叩いて声出して喉から血が出るまで歌って。我武者羅だった。それが今の糧になってる。」
「入学したその日」という部分の覚悟よ…。大学の入学式に出て、帰り際に休学願の紙をもらって帰ってくるという。
これはもう完全に「劇団四季に入るために大学に入った」ということですよね。
本日は母校の舞台芸術学院の生徒さんが80人ほど観に来てくれた。みんなキラキラしてた。
— 柿澤勇人&STAFF (@kakizawa_hayato) September 15, 2017
僕は大学入学したその日に休学願を貰って笑
夜はバイトしながら舞台芸術学院に通ってた。誰よりも早く入ってピアノ叩いて声出して喉から血が出るまで歌って。我武者羅だった。
それが今の糧になってる。
半年間、池袋の舞台芸術学院に通った
大学に入学してから、劇団四季のオーディションを目指して舞台芸術学院(東京都豊島区西池袋)の夜間部に半年間通っています。
1948年創立の老舗芸術学校でもたいまさこさんや平岩紙さんなどの著名な俳優を輩出してきた学校です。
日中は大学の1・2限だけ受けてから養成所へ、夜はバイト。
本人の言葉通りかなり体力的にもきつかったはずです。そして2007年、ついに倍率100倍以上の劇団四季オーディションに初挑戦で合格します。
「まさか合格するとは思っていなかった」
と語っていますが、喉から血が出るまで歌い続けた半年間があってこその合格だったんじゃないかと思います。
劇団四季を2年で退団、大学に戻る
劇団四季に入団した後は、「ジーザス・クライスト=スーパースター」でデビューし、2008年には念願の「ライオンキング」でシンバ役に抜擢されました。
ただ初回の公演では十分な演技ができずに稽古場に戻されてしまったそうで、ここでもまた「壁」にぶつかっています。
そして2009年、22歳のときに劇団四季を退団して大学に復学します。
「一からもう一度勉強したい」という気持ち、そして大学籍を置ける期限が迫っていたという現実的な理由も重なっての決断でした。
復学後は怒涛のスピードで単位を取り、舞台の稽古場にMacbook Airを持ち込んで電車の中で卒論を書いていたそうです。
「復学して2年生のときにほとんどの単位を取って、3年生のときに今の事務所に入りました。そこで最初に立たせてもらった舞台が『スリル・ミー』。稽古場にもMac book Airを持っていって、行き帰りの電車で卒論を書いていたことを覚えています」
入学から7年後の2013年3月、ついに首都大学東京を卒業。この「家族との約束をちゃんと守りきった」という事実が、柿澤さんという人の誠実さを表している気がします。
学歴を通じて見える柿澤勇人という人物像
サッカーで培った「努力の哲学」
成城学園での小・中学校時代から都立駒場高校でのサッカー生活まで、柿澤さんのキャリアの土台はサッカーの積み重ねで作られています。
プロになれなかったことに対して、本人は後悔よりも感謝のようなものを語っていて、
「努力すれば何でも叶うわけではないですけど、努力しないと絶対に上手くならない、才能だけでは通用しないことが分かっていることは大きいと思います。」
という言葉が残っています。これ、サッカーをやっていたから言える言葉だなと思うんですよね。
2代にわたる人間国宝の家系という背景
余談のようで実はかなり重要な話として、柿澤さんの家系について触れておくと、祖父の清元榮三郎さんは三味線奏者、曽祖父の清元志寿太夫さんは浄瑠璃の語り手でふたりとも人間国宝です。
ただ、「清元を継ぐ宿命はない」と本人も語っていて、その家系に生まれながら自分の道を探したのが柿澤さんという人でした。
伝統芸能の空気が身近にあった環境で育ったからこそ、劇団四季の舞台で「言葉を届けること」に感動できたのかもしれないな、というのは自分なりの考察ですが…あながち外れていない気がします。
まとめ:柿澤勇人の学歴ポイント
- 小学校・中学校は私立の成城学園で幼稚園から通うエスカレーター組だった
- 中学時代に東京都選抜に選ばれるほどのサッカーの実力者だったが、芸能界には全く興味がなかった
- 都立駒場高校・保健体育科にサッカー推薦(公式プロフィールより)で進学
- 高校1年時に劇団四季「ライオンキング」を観て転機を迎えるも、高校3年間はミュージカルのレッスンは一切しなかった
- 首都大学東京(現・東京都立大学)に指定校推薦で進学し、入学当日に休学願を取りに行くという行動力を見せた
- 倍率100倍以上の劇団四季オーディションに初挑戦・初合格
- 退団後に大学へ復学し、2013年に入学から7年かけて卒業を果たした

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