この記事を読めばモデル・森星(もりひかり)さんが歩んできた学歴の全貌、幼稚園から大学卒業まで、各学校の特色や偏差値、知られざる学生時代のエピソードまで詳しくわかります。
「慶應出身ってことはなんとなく知ってたけど、全部慶應系列なの?」
って方も多いはずでその詳細を丁寧にまとめました。
森星の学歴まとめ一覧
まず全体像をざっくり見ておきましょう。
| 段階 | 学校名 | 在学期間(推定) | 偏差値目安 |
|---|---|---|---|
| 幼稚園 | 松濤幼稚園 | ~1999年 | 非公表 |
| 小学校 | 慶應義塾幼稚舎 | 1999~2005年 | 68 |
| 中学校 | 慶應義塾中等部 | 2005~2008年 | 72(SAPIX偏差値) |
| 高校 | 慶應義塾女子高等学校 | 2008~2011年 | 76~77 |
| 大学 | 慶應義塾大学文学部(中国文学専攻) | 2011~2016年 | 65 |
こうやって並べてみるともうほぼ完全に慶應一色なんですよね。
しかも慶應義塾のなかでも別々の系列校を経ているのでそれぞれ少しずつ校風が違っておもしろいんです。
出身幼稚園は松濤幼稚園
渋谷区松濤という立地が語るもの
森星さんの出身幼稚園は「松濤幼稚園」。
東京都渋谷区松濤、つまりあの高級住宅街・松濤エリアにあります。
松濤というのは、能人や著名経営者が多く住むことで有名な街で、実際に森家もこの界隈で育っていたとみられます。
幼稚園から既に東京の高級住宅地の私立園というのが、なんとも森星さんらしいバックグラウンドだと思います。
お姉さん・森泉さんと同じ歩みのスタート
お姉さんの森泉さんも同じく慶應の系列を歩んでいることが知られていて、幼少期から二人そろって同じ教育方針のもとで育てられています。
ご両親が慶應の自由で伝統ある校風をとても気に入っていたようでこれは森星さんご本人がインタビューでも話しているんですよね。
出身小学校は慶應義塾幼稚舎
日本屈指の名門小学校
慶應義塾幼稚舎は1874年創立の私立小学校で偏差値は約68。
2020年度の志願倍率は実に11.2倍というデータも出ていて、いかに競争率の高い学校かがわかります。
所在地は東京都渋谷区恵比寿で全学年担任制という独特の教育スタイルが有名です。
卒業生のそうそうたる顔ぶれ
ここで驚くのが卒業生の面々でZeebra(ジブラ)さん、嵐の櫻井翔さん、松岡修造さん、ONE OK ROCKのTakaさんなど芸能界でも多くの著名人が輩出されています。
そういうメンバーと同じ小学校に通っていたと思うとなんかすごいですよね。
スカウトされても走って逃げていた
そんな洗練された環境で育ちながら、森星さんは小学校時代に竹下通りがよく遊び場だったそうで、スカウトに声をかけられても怖くて走って逃げていたというエピソードが残っています。
それが後に国際的なモデルになるとは、誰も想像できなかったと思います。
ちなみにこの時代から合気道を習っていたということも判明していて、グローバルな家庭環境で育ちながら和の武道をたしなんでいたというギャップはなかなか印象深かったです。

出身中学校は慶應義塾中等部
港区三田の超難関中学
中学は慶應義塾幼稚舎から内部進学する形で慶應義塾中等部へ。
東京都港区三田に位置し、SAPIX偏差値は72と、東京都内でも最上位クラスの難関中学です。
ちょっと補足しておくと、外部受験で入ろうとすると相当な難易度の準備が必要になる学校なので、内部進学でもそれなりの学力が必要とされていますよね。
幼稚舎から上がるとはいえ、試験は別途あるので森星さんもきちんと学業に取り組んでいたことが推察されます。
茶道部という意外な選択
入部したのは茶道部。英語・日本語のバイリンガル環境で育ってきた子が、中学では茶道というのは案外意外じゃないですか?
個人的には海外との接点が濃い家庭の子ほど、あえて日本の伝統を学ぼうとする傾向があるのかな、という気もします(あくまで私の仮説ですが)。
それに入学式にはご両親ではなくお姉さんの森泉さんが来てくれたという微笑ましいエピソードも😊。姉妹の絆の深さが感じられます。
読者モデルとしてのデビューもこの頃
中学時代にはすでにローティーン向けのファッション誌「Hanachu→(ハナチュー)」で読者モデルとして活動を始めています。
この時点で芸能の世界に片足を踏み入れていたわけで、のちの正式デビューへの布石がこの頃からじわじわと始まっていたんですよね。
出身高校は慶應義塾女子高等学校
偏差値76~77、内部でも簡単じゃない
高校は慶應義塾女子高等学校へ進学。
慶應義塾が持つ唯一の女子高等学校で、偏差値は76~77というかなり高い水準です。
所在地は東京都新宿区若松町で、外部から入学するには都内トップクラスの学力が求められますし、内部進学も一定の成績要件があるのでけっこう油断できない学校です。
チア部に2週間で入って辞めたこと
これが個人的にちょっと笑えるというか、親近感が持てたエピソードなんですけど、高校入学後にチアリーダー部に入部してなんと2週間で退部してしまっているんです。
本人も「なかなか物事が続かなかった」と話していて、正直すぎる自己分析が好きです。
でも逆に、長続きしたものだけが本当に好きなものだと証明されているわけで、そう考えると、その後モデルとして10年以上第一線で活躍し続けているのは、本物の「好き」で動いているからなんだと思います。
演劇会体験が人生を変えた
高校3年生のとき、クラスの演劇会の責任者を任されて、そこで初めてエンターテインメントの仕事への興味が芽生えたと語っています。
「クオリティの高い演劇を目指して努力するとともに、裏方仕事も経験したことで今の仕事への興味が出た」
という言葉が残っていて、この体験がなかったら今の森星さんはなかったかもしれないんですよね。
高校の同期・先輩にはアナウンサーの弘中綾香さんが在籍していたことも明らかになっています。慶應女子という学校の層の厚さが、ここでもにじみ出ているような気がします。
出身大学は慶應義塾大学文学部中国文学専攻
学部・専攻の選択が今の仕事に直結
慶應義塾大学に内部進学し、文学部の中国文学専攻を選んでいます。
英語はもともとの得意言語として持っていてさらに大学で中国語を体系的に学んだことで英語・中国語・日本語のトリリンガルに近い語学力を身につけることになります。
これが国際ブランドのアンバサダーや海外メディアへの露出につながっているのは間違いないと思っていて、専攻の選択ひとつをとっても先を見ていたのかなという感じがします。
「モリ」を名乗らなかったデビューの話
大学2年生の2012年に「CanCam」専属モデルとして正式デビューするわけですが、当時は「森という名字を使っていなかった」と本人が明かしています。
「星という名前だけで活動していた」との話で、あの世界的デザイナー・森英恵を祖母に持つ名字だからこそ、最初は自分自身の力で認めてもらいたかったんでしょう。
これって実はかなりの意地というかプライドの高さを感じませんか。
名前に頼れば絶対楽だったはずなのにあえてそこから離れてスタートするというのは、けっこうな覚悟だと思います😌

父親の「学業優先」という条件で始まったモデル業
デビューのきっかけについては「大学生のときに父親に相談したら、学業優先ならという条件でOKをもらった」と話しています。
多忙なモデル仕事と学業を両立させながら、それでも2016年3月に慶應義塾大学を正式に卒業。
慶應塾生新聞のインタビューでは「中国文学を専攻していたんですが、お恥ずかしい話、卒業のため…」とちょっとかわいいコメントも残していて、ガチガチの優等生というわけでもなく、普通に卒業論文に苦労した部分もあったみたいで、なんか安心するというか、親近感がわきます。
慶應一貫がもたらしたもの
語学力と国際経験の土台
幼稚舎から大学まで約17年間を慶應で過ごした森星さん。
その間に培ったのは学歴だけじゃなくて語学力、品格、そして幅広い人脈だと思います。
2018年・2019年と連続でMet Galaに参加できた背景には英語と中国語を操れることはもちろん、子どもの頃から国際的な場に慣れていたことが大きく影響しているんじゃないでしょうか。
18歳でのパリ社交界デビュー
高校卒業直後の2011年、まだ18歳のときにパリの舞踏会「ル・バル・デ・デビュタント」で社交界デビューを果たしています。
これは世界中の令嬢たちが集まる場で、25ansが毎年取材する格式ある舞踏会です。
祖母・森英恵さんの知名度があったとはいえ、その場にふさわしい振る舞いや語学力がなければ招かれることはなかったわけで学生時代に積み上げたものが凝縮した瞬間だったと言えます。
まとめ
- 幼稚園から大学まで松濤幼稚園→慶應義塾幼稚舎→慶應義塾中等部→慶應義塾女子高→慶應義塾大学文学部という一貫した慶應ルートを歩んだ
- 小学校時代は合気道、中学時代は茶道部と意外にも和の文化に親しんでいた
- 高校3年の演劇会が芸能界入りへの最初の火種になった
- 大学ではデビュー当初、「森」という名字をあえて使わず「星」の名前だけで活動していた
- 大学在学中にモデルデビューし、多忙な活動と学業を両立させながら2016年3月に正式卒業
- 中国文学専攻で身につけた中国語が英語とあわせてトリリンガルに近い語学力を形成し、その後の国際的な活躍を支えた


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