央川かこの通っていた高校、大学などの学歴まとめ

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この記事を読めば央川かこ(おうかわかこ)さんの幼少期のレッスン歴から宝塚音楽学校の入学と退学、沖縄での秘書時代、そして上京後のキャリアに至るまで学歴・経歴のすべてがわかります。

「9頭身レースクイーン」として知られる央川かこさんですが、正直なところ、調べれば調べるほど「え、こんな経歴の人いるの?」ってなります。

高校を中退して宝塚に入って、でもすぐ辞めて、大学にも行かないまま沖縄で秘書として4年働いて、22歳頃に親に黙って上京。。

ふつうじゃないですよね、完全に。

しかも秘書検定まで取ってる。なんかいい意味でめちゃくちゃ面白い人生だと思って、今回かなり掘り下げて調べてみました。

目次

幼少期 父の夢から始まったレッスン生活

「女の子が産まれたら宝塚に入れる」という父の一言

まずここから語らないと全体像がつかめないんですけど央川かこさんが宝塚を目指すようになったのは、純粋に自分の意志というわけではなかったんです。

本人がアメブロで

「うちはお父さんが宝塚が好きで、女の子が産まれたら絶対に宝塚に入れると決めていたそうです」

と打ち明けていて、これを読んだとき正直ちょっとびっくりしました。

生まれる前からすでに進路が決まっているって、相当なプレッシャーですよね。

幼い頃からのレッスン漬け

その父の方針のもと央川さんは幼い頃からクラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス・お芝居・声楽といったレッスンを積み重ねてきました。

一般的な小学生がスポーツや習字を習う時期に、彼女はひたすら舞台系の習い事を続けていたわけです。

自分の考えでは、ここが後の「宝塚を辞めたくなった理由」にもつながっているんじゃないかと思っていて。

好きで始めたわけじゃないレッスンを何年も続けていたら、やがて「これ、本当に自分がやりたいことなのかな」という感情が育っていくのはわりと自然な流れだと感じます。

あくまで私の仮説ですが。

中学校時代 初受験と「3日間の鬼詰め」

中学3年生で初めて宝塚を受験

宝塚音楽学校は受験資格が「中学卒業以上・18歳以下の女子」と定められていて、最大4回しかチャンスがない超難関校です。

倍率は年によって異なりますが、2024年でも12倍を記録しており、2000年代は20倍を超えることも珍しくありませんでした。

央川さんはそんな学校に中学3年生のときに初受験します。結果は最終試験で不合格。

親からの「3日間の鬼詰め」が凄まじかった

不合格になったとき、インタビューによると親に3日間にわたって徹底的に怒られたといいます。

「落ちた理由を書き出してみなさい。それを1年間で克服しなさい」

という言葉とともに、本人いわく「3日間、鬼詰めです(笑)」と振り返っています。

笑いながら語っているのが逆にちょっと怖いって正直思いました。

でもそれだけ家族全体が宝塚合格に本気だったということでもあります。

中学校名は公表されていませんが、1994年生まれで兵庫県神戸市出身であることから、神戸市内の公立中学校に通っていた可能性が高いです。

ただ、これはあくまで私の推測であって確認はできていません。

高校時代 入学してすぐ中退という大きな決断

高校進学と宝塚再受験を並行させた

宝塚音楽学校の受験資格には「高等学校在学中」という条件が含まれているので、中学卒業後はいちおう高校に進学しています。

高校名は本人から公表されていませんが、進学したのは確実です。

翌年(高校在学中)に再受験し、今度は見事に合格。

本人はアメブロで「高校を中退して宝塚音楽学校に入りました」とはっきり書いていて、合格後は高校に通わずそのまま退学したことがわかります。

合格発表のタイミングが震災と重なった

これは個人的にすごく印象的だったエピソードなんですが、央川さんが宝塚に合格した年は2011年。

東日本大震災が起きた年でした。

本人も「宝塚音楽学校の受験が始まったのは、地震が起こった約2週間後からでした」と記しています。

国全体が揺れた年に、自分の人生の大きな扉が開いた。そ

のことに対して本人は「純粋に誇らしくは思えません」と書いていて、その複雑な感情がとても正直で、なんか、人間らしいなと感じました。

合格当時、央川さんはおそらく16歳か17歳だったと考えられます。

1994年7月生まれで2011年に入学とすれば16歳での入学になるはずです。

宝塚音楽学校時代 入学1年以内で退学を決めた理由

宝塚音楽学校とはどんな学校か

少し説明を入れておくと、宝塚音楽学校は兵庫県宝塚市にある私立の専修学校で2年制の全寮制です。

1年次が「予科」、2年次が「本科」と呼ばれていて、歌・ダンス・演技から礼儀作法まで舞台人に必要なすべてを叩き込む学校です。

「東の東大、西の宝塚」とも呼ばれるほどの難関で入学さえできればほとんどの人が2年間を全うして宝塚歌劇団に入団します。

それだけに「退学した人」は非常に珍しい存在でもあります。

「辞める人なんていない」空気に抗って退学届を出した

央川さんは入学後、ダンスも歌もお芝居も好きになれないという気持ちが積み重なっていったといいます。

複数のインタビューや情報サイトからもその旨が確認できます。

「親の夢を叶えたい一心で入った」という言葉がすべてを語っていると思います。

ところが同期の2人が相次いで退学したことで「あっ、辞めていいんだ」と気づき、退学届を提出。

学校にも親にも引き留められたものの、意志を貫いたという経緯がインタビューで語られています。このとき親子の縁が切れるような大きな衝突になったそうです。

宝塚退学後の最終学歴という視点

ちょっと気になる話をすると宝塚音楽学校はかつて卒業しても高校卒業資格が付与されない学校でした。

後に向陽台高校との提携でサポート制度が整備されましたが、退学した央川さんがそのサポートを利用したかどうかは不明です。

高校を中退して宝塚音楽学校にも在学途中で辞めているため、最終学歴については「宝塚音楽学校在籍」ということになる可能性があります

ただ、これも公式な発表ではないので断言は避けておきます。

退学後 沖縄での4年間と秘書という選択

大学進学という選択肢は取らなかった

宝塚退学後、家族は沖縄へ移住します。央川さん自身もいっしょに沖縄へ。このとき18歳前後。

本人のブログには

「同級生のみんなはこの4年で大学に通ってそれぞれの道に進もうとしているのに…」

という一節があって、大学に行かなかったことへの複雑な気持ちがにじみ出ていました。

複数のプロフィールサイトや情報サイトを確認しても大学進学の記録は一切ないです。

父の会社で秘書として4年働いた

大学の代わりに選んだのが父の会社での秘書業務でした。

「18歳まで宝塚一筋で社会のことを何も知らない。これはヤバイと思って」

という言葉が決断の理由を端的に示しています。

4年間にわたって沖縄で働きながら秘書検定(秘書免許)を取得しています。

これ、けっこう印象深い選択だと思っていて。

18歳で宝塚という世界から突然社会に放り出されて同世代が大学に通っている中で、自分は資格の勉強をしながら実務をこなす。普通じゃないですよね。

それなりにきつかっただろうなと思います。

案外この4年間の経験が今の礼儀正しい立ち振る舞いや、ビジネスライクな仕事への姿勢につながっているんじゃないかなというのが私の見立てです。

上京以降 22歳からのキャリアと学ぶ場への関わり方

22歳頃に「家出」として東京へ

4年間の沖縄生活を経て、親に黙ったまま単身東京に出てきます。

本人は「実は今も家出中のままで(笑)」と笑い話にしていてそのエピソードがなんとも彼女らしいなと感じます。

2017年にレースクイーンとしてデビューし、2019年にはミス・ジャパン審査員特別賞を受賞。

2024年には国内約400人のレースアンバサダーの中からファン投票で上位5人に選ばれる「レースアンバサダーアワード2024」を受賞しています。

ファスティングカウンセラーの資格も取得

宝塚退学後に20kgも体重が増えたことをきっかけに、食事や筋トレを徹底的に勉強し、ファスティングカウンセラーの資格まで取得しています。

さらにパーソナルトレーナーとしても活動を開始したとのこと。

学校に通うというかたちではなくても、自分が必要だと感じた知識を資格というかたちで積み上げてきた人なんですよね。

2017年11月12日にはTwitter(X)でファスティングカウンセラーの勉強をしにいくことを報告していたことが確認できます。

神田外語学院で「教える側」として登壇

少し面白い話として外国語専門学校「神田外語学院」で特別講師を担当したことがあります。

自分が学校に通う側ではなく、教える立場として専門学校に関わった。というのが彼女の経歴のなかでまたひとつユニークな出来事です。

2026年には所属事務所スリーライズの新人研修でも先生役を務めたことをX(旧Twitter)で報告しています。

学校という場への関わり方が、受ける側から与える側に変わっているのが、なんとなく彼女の成長の証というか、そういう感じがします。

央川かこの学歴まとめ

  • 幼少期からクラシックバレエ・ジャズダンス・タップダンス・声楽などを習い続ける(父の方針による英才教育)
  • 中学3年生で宝塚音楽学校を初受験→最終試験で不合格
  • 高校に進学しながら翌年に再受験→合格、高校を中退して宝塚音楽学校に入学(2011年頃・推定16歳)
  • 宝塚音楽学校を在学中に退学(「親の夢を叶えたい一心で入ったため」)
  • 大学進学はせず、沖縄で父の会社に入り秘書として4年間勤務
  • 秘書検定(秘書免許)を取得
  • 22歳頃に単身上京し、レースクイーン・モデルとしてのキャリアをスタート
  • ファスティングカウンセラーの資格を取得
  • 神田外語学院で特別講師を担当(教える側として関与)
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